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意志の槙島、バランスの真島

リコリス・リコイルを最終話までリアタイ視聴しましたので、ちょっと思ったことをまとめていきたいなと思います。
※このnoteは「リコリス・リコイル」と「PSYCHO-PASS」のネタバレを含みます。

槙島聖護と真島をつなぐもの


2022年夏放送のTVアニメ「リコリス・リコイル」。その人気の高さはTwitterなどで話題になっていたことはご存知だろう。ディストピア社会を生きる少女たちの友情に心打たれた視聴者も多い。また、外部環境としてのDAやアラン機関といった「理不尽な大人たち」とリコリスたちとのやり取りも見逃せない。さて、そんな「リコリコ」であるが、このアニメを語る際によく引き合いに出されるのは「GUNSLINGER GIRL」や「PSYCHO-PASS」といった作品だ。銃撃戦や世界観からこうした作品の名前があがるが、今回は「PSYCHO-PASS」に焦点を当てることにする。日本を舞台にした監視・管理社会をベースとしたディストピア社会であり、そこで生きる人々のドラマを描いている本作のなかで、主要なキャラクターである「槙島聖護」をフィーチャーしていく。

槙島聖護と比較するのに最も適したリコリコメンバーはなんといっても「真島」だ。リコリコのなかで主人公・錦木千束と幾度も戦ったライバルである真島。その真島と槙島聖護には極めて似通った部分が多い。ディストピア体制に不満を持ち、自ら手を下す形で社会に挑戦をする両者の姿を重ねた視聴者の方も多いと思う。その他、人を動かす力を持ち、自分の目的のために動員することができるカリスマ性、シニカルなユーモアを込めた語りで豊富な知識を覗かせる知性、そして頑健な身体など、共通点は数多くある。

槙島聖護と真島、二人を分かつもの


だが、槙島聖護と真島では大きく異なる部分もある。
犯罪を重ねるに至った動機について、「人は自らの意志に基づいて行動したときのみ、価値を持つ」という理念の元に数多の犯罪者をまるでオーケストラの指揮者のごとく操り、ノナタワーの襲撃や食料自給体制崩壊テロを実行した槙島聖護の場合は「孤独感」がその源泉にあるのかもしれないことが示唆されており、実際にシビュラシステムの目に映らない槙島聖護は誰ともつながることができなかったとされている。槙島聖護の偉大さというのは、あれだけの思想犯的犯罪を重ね、シビュラシステムの根幹にまでたどり着くような力を有していながら、本人はただ普通の人間として生きたかっただけという極めて個人的な動機が彼を突き動かしているという部分がポイントだ。日本国民に秘めたる意志を問いただし、シビュラシステムを破壊寸前まで追い詰め、狡噛慎也に殺意を求めたカリスマ犯罪者は、その実「人の輪の中にいれてもらえなかった寂しさを晴らしている子供」だという奥深さが槙島聖護を今日まで「最凶」足らしめている由縁だ。

これに対し、リコリス殺害や延空木乗っ取りを決行、「バランスを取らなきゃな」と常々口にしており、”善悪の天秤をDAから取り戻”すことを目論んでいた真島からは、その内面に根ざした個人的な動機が見えてこない。リコリコ最終話を見てもなお、「自分は弱い者の味方であるのでバランスが取れていればなんでもいい」「虚偽と誇張にまみれた平和を破壊し、リコリスの存在(真実)を白日の元に晒す」といった思想面の話しか出てこない。個人的には真島の思想的背景や生い立ちに関する説明が欲しかったと思っている。DAがもたらす仮初の平和であってもその恩恵に預かる人はたくさんいるので、そうしたものを壊したかった動機は、正義のヒーローとしての役割を自認するような気取り方ではなくもっと内発的なものであって欲しかったというのが正直な感想である。

真島が最終話にて人工心臓の調子が悪くなった千束を見て休憩を申し入れたシーンは、私としては真島という人物像に対する完全なる解釈一致であった。命がけの戦い、雌雄を決するような戦いはどちらかが万全の態勢ではない状況で一方的に蹂躙するようなものであってはならないという信条に支えられた休戦提案は、「バランスを取る」彼の信条を豊かに描き出したシーンだったように思う。
おそらく槙島聖護であればこれ幸いとカミソリで切りかかっていたに違いない。槙島聖護は常に人生のプレーヤーとしての立ち位置であることを欲している。彼は常在戦場の心構えとでも言うべき、その一瞬一瞬の実存を大切にする人間であるので、相手の僅かな隙は必ず突いてくる。それが槙島聖護にとっての生きている実感であり、魂の輝きを感じられる瞬間なのだろう。


おまけ:「たきな」と「朱」

PSYCHO-PASSとリコリコの類似点をまとめるにあたって、Twitterのフォロワー様のご意見をいただいたのだが、曰く「真島と千束はそれぞれ槙島聖護と狡噛慎也に該当し、たきなは朱のポジション」だという。私はこの考察に非常に感銘を受けた。というのも、このように考えるとリコリコの”主人公”はたきなであるが、”主役”は真島と千束であったと解釈することができるようになる。たきなは喫茶リコリコに配属されてからずっと千束の背中を追いかけてきており、それは真島討伐作戦の時も同様、彼女は千束を救うためとして千束の元に駆けつけている。そして最終話でもなお、たきなは延空木でも南の島でも千束を追い続ける。たきなは千束と対等な相棒だったのではなくどこまでも千束を追いかけている存在だと考えると、公安局刑事課一係でずっと狡噛慎也を追いかけて、そして最後にはその狡噛慎也を喪ってしまった常森朱を思い出さずにはいられない。

終わりに

ここまで読んでくださった方に感謝致します。槙島聖護と真島に関するまとめは是非書きたいと思っていたので、ここでリリースできて良かったです。何はともあれ、リコリス・リコイルは令和最強のANIMATIONになったと思います。本当にいい作品でした。こうした作品をリアルタイムで追えたことを光栄に思います。それではまたどこかのアニメでお会いしましょう。


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