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平成最後の夜に考える「生きる」とは

平成最後の夜に少しだけ哲学的なことを考えた。

「生きる」って何だろうか?「生きている意味」ってなんだろうか?

『昭和』に生れて、記憶の中ではほぼ『平成』に生きた私は、結局生きている意味を今だに見つけてはいない。死ぬのは大変だったから、もう二度と同じことは嫌だから、「死んでないから、生きている」こんな風に考えて10年。こんな死なない動機でも人って意外と生きていけた。

きっと平成最後の夜に、令和になることへの焦燥感とか生きている意味とか、色んな事をたくさん考えて不安になっている人はいると思う。だけど、一つだけ言えることがあるなら、「未来への不安はきっとみんなもっていて、その不安とどう向き合っていくかが、結局生きることなんじゃないかな?」という事だ。

不安に押しつぶされる夜だってあると思う。

枕が涙に濡れてしまう時だって、生きていたら絶対にあるはずだ。

だけど、それでも、なんとか息して、ご飯食べて、そして朝を迎えられたらそれで万々歳じゃないか。

私の記事にたどり着いてくれた人はきっとたくさんの不安と、悩みを抱えてそれでも今を踏ん張って生きている。平成最後の夜に、そんなあなたへ私からの贈る最大限のエール『共に明日を生きよう。共に明日を迎えよう。そして、なんとなくでいいから生きていよう』

平成最後の夜。そして令和に続く日にこの記事を読んでくれた全ての人へ最大の感謝を込めて。

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