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オードリーのオールナイトニッポンin東京ドームを、確かに目撃した。

当然、余韻が終わっていない。
歴史に喰らってしまった。

16万人。凄まじい数字だ。16万人。
そりゃもちろん、「普段ラジオを聴いてはいないが歴史に残るであろうイベントを見ておきたい」という層もいただろうが、同じ番組を愛している(愛していた)人間がおよそこれだけいるというのは驚愕する。こういう感想は大きな箱で行われるライブを見た時は毎度言っている気はするが、にしても今までで一番の驚愕だった。
一次先行の応募数が19万人だったことが明らかになった時、多くのリスナーがその想定を遥かに超える規模感に慄いたわけだが、つまりはそれだけこの番組が自分ごととして一人一人のリスナーに届いていたということだよなとしみじみする。

一人一人が毎週土曜深夜に一人きりでオードリーのオールナイトニッポンを聴き、「あぁ。こんなにも自分とフィットする番組はない。」と私的な笑みを浮かべていたからこその想定外。内輪だと思っていたら大衆だったわけだ。
その気付かぬうちに帯びていた大衆性を喜ばしく受け取っていない人がいるのも知っているし、自分だってドーム周辺の喧騒の中を歩きながら「自分が抱いているこの強い愛は結局のところ時代的必然であり、世間的あるあるなのかもしれない」と凹みかける時間があったりもしたのだが、席につき会場の熱気を吸い込みあの“おともだち“のアニメーションを見た瞬間、その憂いは綺麗に拭い去られた。

内輪が大衆に育ったことは、憂うことではない。それは時代や世間を超えて、やっぱり歴史がもたらしたものだからだ。時代がどうたら世間がこうたらとその人気を現在軸で分析することだってそりゃできるだろうしその行為にも正当性はもちろんあるだろうが、やっぱり結局のところは、オードリーが15年喋り続けた歴史が最初10人だった客をのべ16万人に増やしたというだけだからだ。
現在進行形であれ、過去形であれ、このライブに駆けつけた皆が皆人生のどこかのフェーズでオードリーのオールナイトニッポンを愛した。その愛の総量が16万人。だからこそのあの客層の広さ。ずっと聴いている人最近聴き始めた人昔聴いていた人最近また聴いてる人がごった煮で感動を分かち合うという、歴史がもたらした祝祭。
あぁ本当に良かったな。そういう素晴らしすぎる歴史的事象を、目撃できて良かった。

自分はあまりに若く、中年の危機のリアルなんて1mmも想像がついてないが、それでも今日もオードリーお二方のトークが面白かった。本当に面白かった。楽しいことやりたいことが一つもないと毎週のように言い続けていた二人が、今日に向けてやったことのそのおかしみ。若林さんがウーバーイーツをやってまでして得ようとした“初めて”の興奮。春日さんが学生時代の思い出の味を完全再現することで再び手にした“あの日“の興奮。その未来への眼差しと過去への眼差しが両方、そのコントラストも含めてとってもおかしくて、お二人の世代年代の感覚を決して知り得ない自分がこんな具体的な感想を持つのは烏滸がましいと思いつつも、こうやって人間は目一杯今の自分を面白がって生きていくんだなと感嘆した。
さらに、この生に対する純な眼差しが毎週毎週最高に面白いトークを生み出してきたんだなとその営みの素晴らしさを思うとまたもやグッとくる。その感動がより大きな面白さへと繋がる。この幸せ。

それから、そのようにしてこの15年の間にたんまり積み上がったトークの山をギュッと濃縮還元したかのような、ドラマ性の濃すぎるコーナーの数々。最高だった。全てのコーナーに振りが効きすぎていて、一つ一つに爆笑してしまった。
ゲレンデが汚される度にドームに響き渡る春日さんのガチすぎる絶叫。フワちゃんの手によってグレゴリーボムが春日さん本人に振り下ろされた瞬間の会場の喝采。たまらなかった。
一曲のうちに武道館以降の5年間を一気にプレイバックするかのような若林さんの体重が乗りまくってるDJプレイも最高だったし、星野源さんとのセッションの中でHIPHOP的に提示された若林さんの等身大な現在地にも喰らいまくった。

幕間に挟まるオードリーと縁深い方々のショートコーナーも、ドームで聴くしんやめも格別だったな。
カラテカ矢部さんが軽すぎることに、自分は何度爆笑してきたんだろう。
松本明子さんのあの表情、なんで何回見ても笑ってしまうんだろう。
こんなことでずーっと笑ってきたこの年月の馬鹿馬鹿しさを愛おしく思った。

そして何より最後の漫才だ。
“今“の面白さを積み上げてこの大舞台にたどり着いた二人の、究極の自己紹介。歴史の提示。オードリーの再提示。
自分達で自分達の歴史を紹介し、自分で自分を褒め感謝する。
その儀式を通してケツから産み出した感謝のバットで、ドームのスタンドにホームランをぶち込む。そして最後は極めてオーソドックスなズレ漫才へと戻り、漫才を閉じる。
すごすぎる。もう自分が笑ってるのか感動してるのかよくわかんなくなってる時間すらあった。面白いとかっこいいがぐちゃぐちゃに混ざってる時間だった。
ここまでピュアな自己言及で16万人バカバカ笑わせるなんて、信じられない。
全部のボケがオードリーじゃん。オードリー以外の要素を持ってきてる瞬間がなさすぎる。オチ、プロスピのガチャって。面白すぎるしカッコ良すぎる。
こんなに濃度の高いもの、忘れられない。

3時間半、歴史の面白さに喰らいました。
あぁ。とにかく最高だった。
良かった。目撃できて。
その感動のまま、思わずこんなに文章を書いてしまった。とんでもないことだ。
ここまで一気に書いて読み返すと、本当に気持ち悪い文章だけども。
なんだか客観性もだいぶないし、同じ温度感の人以外にこれを読まれたらなんか嫌な文章だなと思われてしまうかもしれないけれど。
だけど、本当に感動した時に自分が書ける文章なんてこんなものだよな。多分。
何年か経って自分がふとこの文章を見返した時に、今感じているこの感動をその気持ち悪さも含めてありありと蘇えらせることができるように、この文章はこれ以上手を加えずこのままで置いておこう。
こうやって、気持ち悪くて偏った今を積み上げて、歴史を作っていこう。
この感動をお守りにして、私的な歴史を面白がっていこう。


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