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「存在しなかった問題」が現実化していく様子をお伝えします。

 ものすごく、書きたかったことがあります。
 タイトルの通り「なかった問題」がどうやって作られてしまうかの、具体的な例です。
 こうやって存在しない問題が、恐れによって実際に生まれてしまう・・・そのからくりが見えれば、余計な不安を抱く必要もなくなるのではないかなぁ、と思うのですね。

 ということで、早速。

 あるコミュニティで運営スタッフに加わっています。
 その運営スタッフの1人、A君から、ある日、こんな相談をもらいました。

「最近入ったメンバーさんからコミュニティのこのルールについて、改正した方がいいとこんな提案をもらった。確かに、一理あると思う。君はこの提案をどう思う?」

 私は即、「反対」だと答えました。
 なぜなら、改定する理由がないからです。

 ルールについての具体的なことは書きませんが、提案理由の根幹にあったのは「自分がこれまで見てきたものと同じにしたい」という過去ベースからの発想と「このままでは、責任の押し付け合いや役務放棄が起き、誰かひとりに仕事が集中するかもしれず、いずれは組織崩壊につながりかねない」という恐れに根付くもので、現実(実際の状態)や未来の理想を見て生まれたものではなかったからです。

 ただ、確かに、この組織のルールは特殊ではあるのです。個人の意識の高さに完全依存するルールだったりもします。つまりは、個々人の意識が低ければ、機能しないルールでもあるので、新しく来られた方が「心配」するのも無理はありません。

 でも、このルールで既に私たちは半年を過ごしており、むしろ他のコミュニティで聞くようなトラブルが一切なくなり、順調な運営となっていました。だから、私たちがすべきは提案者に「この組織はこれで大丈夫だ」と伝え安心してもらい、このシステムの利点を理解してもらうことでした。

 そして、私のこの考えに、A君は100%同意でした。
 他の幹部メンバーも同じ考えをもっていました。

 しかし、A君は「提案者」の意見を取り下げるのはどうかと思うと言い出しました。
「せっかく、コミュニティに入ってくれて、勇気を出して意見してくれたのに、あっさり却下ではやる気を失ったり、表向き笑っていても、内心はどう思っているかわからないじゃないか。ここは、じっくりたっぷり話し合うべきでは?」

「いやいや、じっくりたっぷり話し合うところがないよね? 新しく来られた方にはうちのやり方をお伝えし、馴染んでもらいましょう」

「それはそうだけど、繊細な人だし、意見をあっさり却下されたら気持ちを害するのでは?」

「そこまで配慮いりますか?」

「ひとりひとりの意見は大事です!」

「ええそうですよ? だから意見を聞いてます。聞いて、今回は却下。それでダメなら新しい人がうちのルールに馴染めない度に、ルールの中身を変えるって言うんですか? ナンセンス!」

「ルールを変えろとは言っていませんよ。僕が気にしてるのは、彼女が今回のことで傷ついたり気分を害したりして、それがコミュニティに悪影響を及ぼさないかってことだから。しっかり提案について話し合った結果、やはり現行のままでいく、というのが相手にとっても納得いく話では?」

「意味不明です。結果はわかっているのに『話し合った』という形式だけ、作らないといけない? その『形式』のために、私たちが無駄に時間をとられるんですよ?! だったら、話し合ったけど、って伝えたらいいだけでは?」

「それでは嘘になってしまいます」

「じゃあ、話す中身もないことを話し合います? 勘弁して。暇人!」

「待て待て、今話してることがもう、議論ってことで、いいんじゃないか?」

「Oさんは黙って下さい。だいたいA君、毎回、話が長いし、わかってる結論について時間浪費するとこありますよね? 自分の時間はご自由にどうぞですけど、私たちを召喚するのやめてもらえません?」

「ちょちょちょ、落ち着いて」

「ここにいる全員が同じ意見でしょ?! 提案は却下。ルール説明してご理解いただきましょ、で終わる話! いちいち幹部会とかやんなくても、A君だって同じ意見ならそこで話止めといてよ。それがあなたの仕事でしょ?」

「そんなことしたら、全部俺のところで話止められますよ? 俺の采配、俺の自由にメンバーを動かせちゃうけど、それでいいの?」

「まって、今のも、思ってることを言ってるだけで、私たちの相互理解につながってていい場だと思います」

「相互理解は、もっとこういう素晴らしいことをしましょうとか、今度はこんな企画をどうやって実現しましょうかとか、そういう議論ですればいいです。こんなの意味不!時間の浪費!」

 数人がこんな感じで議論・・・後半は「言い合い」になっていたのですが、私に見えていたのは、

・このルールでは組織が崩壊するかも?
 という提案者の恐れ。
(実際は、このルールで順調にまわっており、そんな要素は見当たらない)

・この提案を重く扱わないと、提案者の感情が傷つき悪い結果になるのでは?というA君の恐れ。
(本当に感情が傷ついて組織的に悪い結果になるかどうかは、現在のところわからない)

 要するに、ふたりとも組織が崩壊するという恐れを持っているわけです。

 これは、今ここに存在しない「問題」への恐れですね。


 その恐れから逃れようとして生まれた行動の結果、恐れたようにメンバーが険悪になっている。
 この言い争いがきっかけで、コミュニティトップの方が、後で私に「こんな意味不明の会議にここまで頻繁に呼び出されるなら、やってらんない。降りる」と連絡をくれ、次のトップに立とうという人も出ず、コミュニティは解散の危機?!に陥ったのでした。

 人は「意識を注いだ方に行く」のですよねー。

 恐れを見て動けば、それを回避しようとしても恐れた方へ向かいます。

 だから私は「どうなりたいか」を聞くのです。
 どうなりたいか、行きたい方を見て、そこに向かうために意識も無意識も使うのです。

 ちなみにこのコミュニティはその後、どうなりたいかに意識を向けなおし、しっかり結束し、順調に運営されています。^^
 


飯干りえ奈ドットコム 

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