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罪悪感にいつの間にか、捕まってない? 2

いつの間にか、罪悪感に捕まってない?
https://note.mu/kokonaru/n/n23fb8f96526c

に続く記事となります。


ダイエットしたいのにできない。
ちゃんと家事をしたいのにできない。
ちゃんと仕事をしたいのにできない。
そんな自分が嫌い。

というご相談をけっこういただきます。

では、そんな自分をどうしたいかとお聞きすると、

ダイエットできるようになりたい。
家事をするようになりたい。
ちゃんと仕事するようになりたい。

とおっしゃいます。

そりゃそうだよね、と思った方は危険かもですよ。



だって、「それ」が本当に、目的なのでしょうか?

きれいで健康的な体になりたい「から」
ダイエット。
家を整えたり家族でいい感じで暮らしたい「から」
家事。
社会の役に立ったり、収入を得たりしたい「から」
仕事。

ダイエット、家事、仕事、
全部「手段」ですよね?!
 
いつの間にか、手段が「目的」になってしまっているのですよね。

もし、
ダイエットが好きなら、もうそうしているでしょう
家事が好きなら、止められてもやっているでしょう。
仕事が好きなら、禁止されてもこっそりでもやっているでしょう。

それができないから、できるようになるために必死になるのは苦しいんじゃないかと思います。
真面目な方ほど、できない自分を責めますから。


「手段」が好きじゃないなら、別の方法で「目的」に向かえばいいだけなのに・・・!


さらに言うと、

こういう体であるべき
こういう家(庭)であるべき
こんな風に役立つべき、収入を多く持つべき

って、そもそもの「目的」も、誰かに刷り込まれた可能性が高いんですけれどね。


目的も本来自分が望んでないこと。
であれば、手段はすべてやりたくなくなるでしょう。

なのに、真面目な方ほど「決めたことをやれない自分がダメ」という考えで苦しんでいます。

でも、その前に考えてほしいんです。

「それを、やりたいのか?」
「それは、やるべきことなのか?」

さらに上の抽象階層では

「自分は、決めたことをやれる人でありたいのか?」って。


この世は幻。
「決めたことをやれることがすばらしい」というのも誰かが生み出した「考え」で、同意する人が多ければ、その幻は「現実」と認識され、さらにその数が大多数となると「常識」と認識される、それだけのことです。


決めたことをやれるひとに、なりたいかどうか。
または
決めたことをやれる人に、なるべきかどうか。

そこを自分でちゃんとゆっくりしっかり考えて答えを出せば、雑音は消えますよ。


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