見出し画像

些細なことも伝える、それは愛。

些細なことでも伝える。

 これはとてもとても、思っている以上に、大切なことです。

 だけど、こんな些細なことをいちいち伝えられてもめんどうじゃないかしらとか、これは言わなくても大丈夫だろうとか、そんな気持ちからか「伝えない」方を選択するケース、多くないですか?

  私はコミュニケーションする際「相手に解釈の余地を与えない」ことを推奨しています。誤解をなるべく招かないために、必須のことなのですよね。

 
 例えば娘が今朝、こんなことを言いました。

「ママ、カレーが食べたいな」

 この言葉には「いつ」という情報がありません。
なので、「今」なのか「お昼ご飯に」なのか「晩御飯に」なのかは私に解釈の余地があるのですよね。
「いつなの?」と聞き返すこともできますが、私が思い込みが強いタイプだと勝手に「今日のお昼」と決めてしまうかもしれません。
 そして「わかった!」と答えます。
 実は、娘は「今度のランチパーティーではカレーが食べたい」ということを言っていました。
 ところが今日のお昼にカレーが出て来ます。娘は朝のリクエストの結果だとは思わないかもしれません。
 そして、ランチパーティーでパスタが出たりして「違う!!!!言ったじゃない!カレーがいいって!!!」となるのです。

「いつ」という情報を抜いたために、誤解が生じ、場合によっては関係が悪くなるきっかけにもなり得るのですよね。

 これは仕事の場面でもよくみかけます。
「そこまで知らせなくても、普通、そうだろう」
「そこまで知らせなくても、問題ないだろう」
 ほんの些細な「まあいいんじゃない」なのですが、ちょっとしたかけちがいがやがて大きなすれ違いになり、結果に影響を及ぼすのですよね。

 伝えない = 相手に解釈の余地を思いっきり与える

 ですから、伝えない(言わない)でいることは、人それぞれの「普通こうだよね」に判断を委ねることになるのです。

 無言ってことはイエスだよね
 無言ってことはノーだよね

 同じ「無言」という態度に対して、真逆の解釈が生まれます。


 言わなくてもいいか。
 いちいち邪魔だよね?

 と思う気持ち、わからなくもありませんが「伝えないことは、解釈の余地を思いっきり相手に与える行為」であることを、少なくともわかった上で「伝えない」選択を意図的にしてほしいなと思います。

 でも、基本は「些細なことも伝える」でいてほしいのです。

 余計な誤解を生み出さないためにできることをする。
 伝える。
 これは愛情から生まれる行動のひとつだと思うのですよ。


飯干りえ奈ドットコム 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?