とあるヒーリングを学び、がっつりやっていた頃、「神なぞいない」とおっしゃったある方の元でも学んでいました。

それは一部のスピリチュアルを大切にしている人にはおかしなことに見えたのでしょう。

「なぜ、神を否定する人の元で学ぶのか」と、質問というより非難を受けました。

また科学を学んでいる仲間の一部からは
「なぜ、スピリチュアルカルト(ものすごい一方的な見方です)に関わるのだ」とやっぱり質問というより非難を受けました。
 

なぜって、抽象度を上げればわかることじゃんね、と思っていたけど、私が未熟で伝えても、あまり通じず。
 
今は今で、相反するアプローチをとるコミュニティーにそれぞれいることで、「それはおかしいからどっちかにしろ」と迫る人がいたりします。
 

例えるなら、最強の矛と盾を、どうしても戦わせたいように、見えるんですよね。
 
だけど、その矛も盾も、自分が持って、別のものと勝負するために使うんです。
手元で向かい合わせて、どっちが勝つかとか、しない。
本当に最強だろうかとか、疑いもしない。
そんな素地がないよね、と思うんです。
 

それでも人は辻褄を合わせたいのだろうなぁ。
 
その辻褄合わせは「自分の理解できる範囲」でしか行われず、結果、じぶんの世界が広がることもなければ、逆にますます自分を現状に閉じ込めるってことに、まだ気づいていないのだ。
 
今は、まだ、ね。
 

知らない世界に対して、その世界を理解できないままに、扉を開ければいいのに、と思います。
 
トントン、ノックはわりと頻繁になっていたりするし。

私の存在もノックですよ。

扉をこじ開ける強引さが、私に必要だろうか。
待つ、というスタンスを見つめ直しているこの頃です。

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