好きなことをするより、他人に良い評価をもらう人生を選んでたんですが、私が死にそうになっていたのでもう98%やめました。

この頃、

小説を書きたいときに書きたいだけ書く、
ということをやっていて
自分が社会人としてはアウトだな、と
つくづく思っている。

と同時に今は、
それほどお金もいらない、と
思っている。
今、は。

健康な体を維持するための
食事と環境と
人が私を見て
気分がよくなるような
誰かの価値を高められるような
そんな外見が維持できるのと

友達と美味しいものを食べたり
心を刺激する芸術に触れたり

それができれば、最低ラインクリア。
「それが最低?!」と突っ込まれたりするけど
いいじゃん、私はここが最低。

子どもの教育費とか諸々は
夫がなんとかします。w

それ以上のことは
プラスの豊かさである、
ことに気づきました。私にとって。


そして、
ひたすら小説を書き
それ以外のことも
やりたいことをやって過ごしていたら

子どもの頃の感覚がふっと立ち上がったの。

わたし、これが好きだった。
というやつ。


わたし、物語を読むのが好だった。
わたし、物語を書くのが好だった。
わたし、空想しているのが好だった。
わたし、夢で不思議な人と会って語るのが好だった。
わたし、演劇を見るのが好だった。
わたし、クラシックやオペラのレコードを聞くのが好だった。
わたし、お芝居をするのが好きだった。
わたし、踊るのが好きだった。

でもこれらは

お金になるの?
職業になるの?
それで食べていけるの?
やって何かの役に立つの?

という問いかけに
明確な「イエス」の答えを持てず
その答えが「イエス」である必要があるのか?
と、相手に問い返す知性も持たず、
だんだんと力弱くなり、

空想家はきもい

という言葉によって
心の重要度のうんと下の引き出しに
しまいこまれてしまった。


私は
好きなことをやる人生よりも
他人に良い評価をもらう人生を選んだ。


それが悪いとも思わない。
この世に絶対的ないいも悪いもなく
それを作るのは私たち、一人一人。


それでも
「悪い」とする私の「部分」があり
がっかりするの。
これが罪なら犯人がいて
それは、結局のところ
私。

それでも
私の罪悪感なんか一切、無視して
この物語と
この想いと
この特質は
虎視眈々とチャンスを狙っていた。
あの時、
違う道に歩いて行った私の
うんとうんと奥深いところから
出てくるチャンスを狙っていた。

出てこようとすると

才能なんてないのにバカね
いい歳して空想してるの?

という他人と自分の声に
グッと頭を押され、
まぁ、

随分、かかったものだね、と思う。

そして、よくぞ
生き残っていたね、とも。


なんとまあ
たくさんの制限と
根拠のない恐れや不安、
そんなものに囲まれて、

生き残っていたね、とも。


そして、気づく。

この回り道に
私が書きたかったことの材料が
たくさん用意されていたことが。


ここからは、
人生は片道方向に見えるけど
違うところから見てみると
まるっとしたエネルギー体に見える。


全てはうまくいっている。

この何度目かの
気づきや感覚に
素直に喜ぶ私。
酔いしれる私。
素直に喜ぶ私を、喜ぶ私。
酔いしれる私を、バカにする私。
まぁ、まだまだいっぱいだ。
多次元に渡るのだ、私。

それで、糸を垂らす。
意図を垂らす。

ぽちょん、と。

できないなんて
だめだなんて
これしちゃダメだなんて
信じるな。
決めろ、と。




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