時空ずれを修正するのは難しいでしょうか?

チャネリング、今回もレッツゴー!

S サリハ
R 私

R では、サリハ、次の質問に行きますよ?
「時空ずれを修正するのは難しいでしょうか?」
これも、時空ずれが大きい時に出てくる質問ですね。

S そうだね。ずれていなければ難しいも簡単もどちらでもよくなるからね。

例えば、お腹が空いていて何かを食べようと思ったとするだろう。
家には何もない。外はすごい雨だ。あなたは筋トレをハードにやってしまって、腹筋も足の筋肉も足の付け根の筋肉も、動かすとだいぶ痛い。でも、お腹が空いていて絶対に何か食べるって決めている。
だから、雨だろうがひどい筋肉痛だろうが、食べ物を買いに行くかレストランへ行くね。
そこにハードルがあろうがなかろうが、やることはやってしまう。

R と、いうことですよね。
ただ、色々な方とお話させていただく中で、「やることはやる」んだけど、どっちかといえば「難しいと嫌だな」とか「気持ちが萎えそうだな」とか、そういうのはほとんどの人の中にあると感じるんですよ。で、気持ちがくじけることもあるんです。
私も、どうせならスムーズで簡単な方がいい。

S 気持ちがくじけるのは、5次元座標がずれたからだよ。
それと、「スムーズで簡単な方がいい」についてだけど、それで、あなたは私からエネルギーワークを学んだね。Higher Field Energy Works (HFエネルギーワークス)の名前で今、広がっていきつつある。

R ええ。あれは簡単でとても気に入っています。喜んでくださる方も多いですよ〜。

S しかし中には、それを「難しくする」者もいるね。

R いらっしゃいますね。「簡単だということを受け入れること」が難しいんだな、と感じます。
うまくできない方々には、基本的に
・言葉通りにやらず、自己解釈を入れている
・教わった通りにやっていない
・余分な想いをあれこれくっつけてしまう
という点が目立ちます。
でも、悪気があるわけじゃ、もちろんないんです。

難しくアレンジしてしまうんですよね。なんだろう。いろんな余計なものがくっついてしまっているんですよ。なぜなのかな?

S 「難しい」という場にいるからだよ。つまり、5次元座標がずれているんだよ。 「HFエネルギーワークス」という名前のビルをイメージできるかい?

R しましたよ。

S 1階、2階、3階・・・とフロアが続いている。この1階、2階、というのは、高さという「場所」をさしているね。
同じビル「HFエネルギーワークス」でも、どのフロアにいるかで見える景色や、そのフロアの特色があり、違いがある。ここまではいいかな?

R うんうん。

S この1階、2階・・・と「場所」を指す言葉が、例えば「難しい」「簡単」なんだ。
HFエネルギーワークスビルの1階、HFエネルギーワークスビルの2階、という感じでね、HFエネルギーワークスの「簡単」という場所。HFエネルギーワークスの「難しい」という場所があるんだよ。

あなたはこのビルの1階=簡単 にいるとしよう。その気がある者は誰でも玄関から入ってこれる。あなたやティーチャー達は喜んで迎え入れる。

R わかってきた!
ところが、何人かは、1階=簡単 から違うフロアへ行っちゃうってことですね。

S そう。好きな場所へと移動する。「シンプル、簡単という場所」で迎え入れても、「難しいという場所」を選んだ者はそっちへ行ってしまう。そして悩む。
「同じワークをしているのに、私は効果が出ていない」って。

1階から5階に移動したら、同じ景色が見えないのは当たり前、それは当然と思っているのに、「簡単」から「難しい」に移動して、同じ景色が見えないことは変だと思う、あなた方はなかなかにおもしろいよ。
別のフロア(別のパラレルワールド)にいるのだから、1階=簡単 にいる者と同じ景色が見えなくて当然なんだがね。

R なるほど。そこにあるものを、個人個人が「簡単」ととらえるか「難しい」ととらえるか、じゃなくて、「簡単」というフロアへ行くか、「難しい」というフロアへ行くか、ということですね。

でもね、「行きたくて行ってるわけじゃない。気づけばそうなっている。簡単なところへ行きたいんだけど、できない」という意見も出て来ますよ。それは、私もものによっては、すごくわかります。HFに限らず、人生にはそういうことがありますもん。

S 気づけばそうなっている、か。なかなか鋭くて正確な表現だ。わかりやすくするために、「選んだフロア(場/パラレルワールド)へ行く」という表現を使ったが、「正しくは、選んだフロアになる」んだ。
人間は空間だからね。行くんじゃなく、そういう空間になる。

R 面白くなって来ましたね。
もっと色々聞きたいんですけどね、「時空ずれの修正は難しいか?」という質問に、イエスかノーかで答えて欲しい方もいるはず。
・・・あ、いや、そうか。イエスかノーは、人によるんだ。だから、サリハはイエスかノーかで答えてないんだ。

S そうなんだよ。イエスでもノーでも何でも、自分で選ぶんだよ。
そして、自分が嫌な場を無意識に選んでしまって、そのずれを修正するのは自分には無理だとか、自分はなおらないんじゃないかとか、色々と思い悩む必要はない。その思い自体が「ずれ」から生まれているだけだからね。

「行きたくて行ってるわけじゃない、気づけばそうなってしまっている」というのは、ある時点まではその通りだ。
しかし、ある時点を過ぎれば自分で選べるんだよ。
自分で選んでいる。これを受け入れるかどうかが、違うパラレルワールドを生きる最初の大きな分岐だ。
行きたい場所へ行くには、5番目の軸、5次元座標を自ら指定するのだよ。


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