真・プロジェクトX③~切り札~

 1999年1月。
 帝都建設統括工事部長・東忠彦は星野工業社長・星野公一を呼び付けていた。懸案となっている新宿駅地下の地下鉄新線建設工事を任せる為である。
 「だが一つ条件がある」
 東は星野を睨み据えた。
 下請け業者仲間の間で『“本物”よりも“それ”ッぽい』と評判の面構えで睨まれるのだから星野が蒼白で震え上がったとしても無理は無い。
 元より、他のゼネコンとも均等に付き合い帝都建設を“数ある取引先の一つ”と捉えている他の大規模下請け業者とは違い、星野工業は帝都建設一本でやっている会社で“帝都が咳をすれば星野は肺炎をおこす”と揶揄されている関係上、どんな無理難題を吹っかけられてもこれを拒む選択肢は無い。
 「何でしょうか?」
 星野は身構えた。
 「建築部の参入は7月1日からになるが工事の開始は8月1日を予定している。その頃にはちょうど奴の身体が空くな」
 東の言葉で条件というのが現場責任者の指名である事が分かり、星野は頭の中で8月1日時点で“無職”となる親方を検索する。
 「奴は今、茗荷谷の“名古屋学生会館”の追い込みにかかっているが残工事を含めて7月中にはそれも終わる。おあつらえ向きとはこの事だ」
 「井村の事ですか?…しかし彼はその後、“名古屋”の浜田次席の次の現場へ引き続き入る事が決まってますが」
 「浜田には私から話をする。とにかく、あの地下鉄工事を成功させるには井村徹の“得体の知れない力”が必要不可欠だ」
 東の言葉に力が籠もった。
 工期は残り2年あるとは言え、地下鉄工事本来の予定からすると今頃は既に建築部の工事が始まっていた筈なのだが、現実には建築部参入の目途すら立っていない。東が星野に告げた予定とて、あまりの遅滞に痺れを切らした彼が強引に捻じ込んで決めた“見切り発車”に過ぎないのだ。
 下請け業者連中どころか重役陣に至るまで絶望視している中、東は是が非でも地下鉄工事を成功させなくては帝都の明日は無い、と考えていた。
 6組の大型企業体が覇を競った東京都庁建設工事に於いて帝都が率いた企業体は、
 「まぁ、“失敗”とまでは言わないけどねぇ」
と6組中最低の評価であった。この上地下鉄工事で失敗する事があれば“後”は無い。
 地下鉄工事は帝都が位置するスーパーゼネコン各社が3駅分、中堅ゼネコンが2駅分をそれぞれ振り分けられた一大プロジェクトであるが、帝都建設はスーパーゼネコンでありながら、中堅ゼネコン並みの2駅分しか割り当てられなかったのである。

 とは言え、あの現場が置かれた周辺状況に絶望的とも言える工事遅滞を加味するなら、全てを引っ繰り返す“奇跡的な何か”が必要になる。
 東はそこに井村徹の持つ“得体の知れない力”を求めたのである。
 井村は若手で、しかも二次下請けの人間でもあるから常にいわく付きの現場を、しかも途中から任されてきたが、それらことごとくを最終的にまとめ上げ、最高評価の現場に変えて見せてきた。
 東も現場の所長だった時代に幾つかの現場を井村と共にしたが、周辺住民の圧倒的反対運動にさらされたマンション工事を、終わる頃には無風どころかむしろ協力的な空気に変えてみせ、揚げ句に分譲販売購入枠の殆どがその反対運動住民達で埋めてしまった事がある。
 勿論井村がセールスした訳ではない。彼を中心とした現場親方衆の態度や取り組みに「あの人達が造ったマンションなら間違いない。信用出来る」の声が殺到した結果であった。
 一方で、そのマンション販売成功に気を良くした住宅販売会社が、今度は自社の本社ビル新築の話を持ちかけて来た時には、
 「それは止めた方がいいと思いますがね。ロクな事にならん。途中で頓挫するのが見えてますわ」
と、井村一人が反対した。
 無論井村の声など顧みられる事無く帝都建設はその工事を受注したのだが、工事も半ばで住宅販売会社は夜逃げ倒産となり、工事は宙に浮いた。

 井村に何が見えていたのか、それは今以て東には分からない。
 だが、井村に関わった下請け業者が例外なく次の現場も彼と組みたがり、
 「あの人の現場は必ず成功する。だけど怒らせちゃいけないよ。トンでもない事になるからね」
と囁きあっているのは事実である。

 そして東も、井村の伝説化に一役買う事になる。
 彼を地下鉄工事に“引き抜く”のと引き換えに、本来定年になるまで次席止まりの筈の浜田を現場所長に昇格させたのだから。
 
 

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