見出し画像

不倫から結婚まで18年の軌跡:自己紹介

「婚外純愛コンサルタントnattsu」と言う名前でabemaTVに出演しました。



①弁護士と話す日本の結婚制度


友人の弁護士と話したこと「日本の結婚制度について」

弁護士の彼女が言ったことは「本当に日本の結婚制度はおかしい!日本の結婚はお金。夫婦は完全に終わっていて何年も別居しているのに、籍が入っている以上婚姻費用が発生する🤢
(※婚姻費用・・・収入が高い方が配偶者に生活費を支払う義務)

それに、不倫した場合不倫相手に慰謝料請求するでしょ?不倫問題って夫婦の問題なんだよ😒
慰謝料請求したいなら配偶者にするべきなのに何?
問題を他人事にして不倫相手に慰謝料請求するんだろうね!?世界的に見ても相手に慰謝料する国なんて日本くらいよ」

そんな声を聴いて思いました。
結婚する時は好きだの愛だのと浮かれて結婚を簡単にしてしまう👰
(できてしまう)
それに引き換え離婚となると、多くの法律、または固定観念に縛られてかなりハードルが高い。

離婚で一番の大きな問題になるのはお金だ。
そんなこと、結婚する時に聞いていただろうか?
結婚は契約なのです💔
何かを契約する時、契約する時の条件やリスクが書いてある契約書を読んでからサインなりして契約しますよね。
婚姻届けにそんな契約書はついていません。

「愛」で結婚したのに「愛」が無くなっても離婚はできない。
これはなぜなのか?

夫婦がお互い自立していないからと言う理由がとても大きいでしょう。
「結婚って、1人でも生きていける2人が、それでも一緒にいたいと思う時にするものよ」ココ・シャネル

日本の結婚は法律でガッツリ守られています。そのため夫と言う立場、妻と言う立場にあぐらをかきやすくなってしまう。

私は世の夫婦が、仲良くあって欲しいと切に願います。
仲が良ければ、どんなに魅力的な異性が現れても、夫婦の間に誰も入ることはできないからです🎎

夫婦の仲が良ければ不倫はなくなり深く暗く悲しむ女の子たちもいなくなるでしょう。
弁護士の仕事は減っちゃうかな~なんて弁護士ちゃんはおっしゃいますが😅

②nattsu経歴

1975年生まれ
11歳 両親の離婚
23歳 22歳年上と結婚
27歳 女児出産
32歳 離婚
32歳 精神科入院
43歳 営業売り上げ全国1位
45歳 株式会社創立
46歳 浄土真宗僧籍取得
47歳 浄土真宗教師取得
 不倫恋愛サロンWingirl愛の学び会設立(40名以上在籍)

48歳 再婚

30代は精神病の発症で正社員になれず必死でバイトを掛け持ちしながら子供を育ててきました。
死にたいと願ってばかりいた30代でした。
心の学びを通じ、見事社会復帰をし必達目標であった不倫恋愛を終わらせ最愛の人との結婚という最高の人生を手に入れました🥰

③既婚者だった彼の過去

彼は29歳の時、5歳年上の女性と結婚。
子供2人。
子供が生まれた頃から夫婦仲はおかしくなっていった。
専業主婦である妻は、掃除や整理整頓ができず夫まかせ。
子供の送り迎えを夫の役目とさせられていたため仕事を残して子供の送迎をすることも。

また、子供の行事は必ず夫も参加するのが当たり前であるという妻の考えから、仕事を休まざるを得ないことが多々あった。

彼の仕事は演奏者であり、収入は安定しなかった。
仕事を断ったり、遅れたりなどは、仕事を失う事にもなりかねないのだが、
妻の雑用の要求は仕事を考慮したものではなかった。

収入を得るために他の仕事をしたいと妻に言えば
「そんな仕事して食べて行けなくなったらどうするの!」
全てを反対(ドリームキラー)

そうであるにもかかわらず
毎月「あちらこちらの支払いが足りない、今月どうするのよ!」
と夫を追い詰めた。

しかし妻は働くことなく、エステやマッサージに通い、ブランドバッグを夫に要求した。
そのため、生活費の補填のための借金が増えていくばかりだった。

精神的に疲れ切った彼は
「離婚して欲しい」と何度も切り出すも妻はだんまり。
次第に会話が無くなり用事は子供を介して伝えていた。

④既婚者だった私の過去

幼少期は父親の暴力、祖母の異常な支配を受け、異様な自己肯定の低さで育つ。
19歳で初めて付き合った男性は22歳年上の決して裕福でもなく、見た目も太って禿げている男性だった。

しかし恋に恋して大学卒業後すぐに結婚。

夫が稼いでいるお金もいくらか知らず、生活費の全ては折半。
そのうち夫は職を失い、家でゴロゴロ寝ている毎日になる。

そんな中妊娠。
「子供産むのか!お金かかるだろ!」
妊娠した時の夫の言葉だった。

出産費用は私が働いたお金ですべて準備した。

子供が生まれてもほとんど収入のない夫。

楽器が演奏できた私は、演奏の仕事が入ると子供を置いて働きに行った。
演奏の後は次の仕事に繋がるように飲み会に参加することが多く
それを気に入らない夫は私が夜中に帰宅すると玄関で私を殴った。

不安で寂しくて仕方のない20代後半だった。

④彼との出会いと妻バレ

ある劇場の1か月の演奏の仕事が入った。ある程度大きな収入になるため、気合を入れて劇場に通っていた10日目。
本番前の幕が下がっている状態で楽器を構えて待機していた時、ふと右側の歌手についているバンドさんたちを見た。

そこには長髪の美しい顔立ちをした彼がいた。
一目惚れだった。

彼を気にしていた数日、楽屋に上がる階段で何度も彼とすれ違い、彼も私をとても気にしていて、彼からの夕食の誘いをもらい、初めてのデートをした。
彼が40歳、私が29歳の時だった。

彼の家は関東、私は中部に住んでいた。

距離にすると約400キロ。いわゆる遠距離恋愛になる。
彼は劇場で仕事をするため私の住む地域に出張していたのだった。

お互い一目惚れで、1日1日があまりにも愛しく、あまりにも濃い半月。
劇場の仕事が残り数日になってくると二人で悲しんだ。

「もう何年も一緒にいるみたいだ。おれ、一か月に一回は会いに来るから!」

お互い家庭があることは分かった上で恋に落ちた。
なぜもっと早くこの人に会えなかったんだろう。
そんなことばかりを思い、
新幹線で帰る彼を泣きながら見送った。

彼が帰ってからも1日何度もメールを交わした。
(まだlineもない時代)
そんな日々が続いた1週間後、彼からの電話。
「奥さんにバレた」

理由は携帯電話を見られたことによるバレ。
彼は「離婚してくれ」と伝えたが妻はダンマリ。
離婚されたくない妻は、黙るしかないようだった。

⑤彼妻からのSNS攻撃

彼の妻は私の存在を知ってから、当時流行っていたmixiで私のことを見つけだし、近づいて来た。
私は最初まさか彼の妻だとは思わなかった。
mixiではリアルな友人たちと交流しており楽しんでいた中、彼の妻は発言がおかしかったのだ。
自分がどれだけ不幸か、自分も浮気してやろうか等、あまりにも皆とノリが違うため
彼女をネット上で深く追跡してみた。

mixiは友人から「この人はこんな人です!」という紹介が書かれていたのだが、彼女の紹介文はすべて自分で書いたものと判明し、
彼女の本当のアカウントにたどり着いた。
アイコンは彼の写真だったのだ。

手が震えた。
「奥さんだ!」
彼の奥さんはなりすましをして私をじっと監視していたのだった。

しかしこちらはこちらで、妻の本当のアカウントにたどり着き、家庭の様子を見ることができた。
(私がたどり着くことを前提に作っていたようだった)

彼から妻は友人一人もいないと聞いていた。
仕事もしていないから子供と夫に依存して生きていると。

mixiを見ていると、本物のアカウントも友人からの紹介文を書いてくれる友人がおらず、まるで誰かから紹介されているように自分で書いている。

「ママ友で知り合ってからの悪友。ランチするとおしゃべりが止まらない!かわいくて賢い子供たちと、子供より妻を優先してくれる優しい夫に囲まれて、私の理想の家族です!これからも仲良くしてね!」

と自分で書いていた。
ここに彼女の闇を感じたのだった。

そこからは、私が見ている前提で私が傷つくような投稿が続いた。
夫といかに仲がいいか(本当は会話も交わさない仲)
どんな風にプロポーズされたか。
仲が良かった頃のデートの話し。

「奈良に行った時あなたは鹿に追いかけられて怖がっていたじゃない。それなのにまた奈良に行きたいのね!わかったわかったまた追いかけられに行こうね」
(この後すぐ私と奈良に行った彼)

そして私への攻撃。
「いたずら電話はあんたでしょ!夫も怒ってるわ!」(妄想)
「あんたの立場で愛されてるってなに?バカじゃないの?私は夫に愛されている」

彼はこの頃は妻がとても病んでいる、とても関係性が悪いと私に話していた。
それでも妻は彼に私と別れてくれ等何も言わなかった。
どうしても離婚したくなかったのだろう。
SNSで私にストレスをぶつけることで精いっぱいのようだった。

⑥家庭の立て直しをする彼と離婚した私。

遠距離恋愛が数年続いた。
遠い家庭に帰っていく彼にとても寂しさを感じるようになった。

付き合って3年ほど、彼の生活が一変した。
今まで安定収入を得ていた音楽制作事務所をクビになったのだ。

元々高級マンションのローンの支払いや妻のワガママの支出(家電など最新のものを買ってSNSで自慢していた)などに苦しみ、借金がかさんでいたところの会社のクビだった。

彼の自慢だった外車のオープンカーを売った。
しかしそれだけでは生活ができない。
彼は妻に毎月30万円の支払いのあるマンションを売りたいと言うと
「私にここを出て行けって言うの!!」と怒りを彼にぶつけた。

彼は妻に仕事に出て欲しいと頼むと、
パートに行ったものの1週間で辞めてきた。
「私は年だから今更仕事できない」とのこと。
(当時47歳)
妻は大学卒業してから一度も社会で働いたことがないと聞いていた。

彼が新しい仕事を始めようとすると、妻はすべて反対。
「そんなことで食べて行けるはずがない!もっとまともなこと考えてよ」

彼が許された仕事は、日雇いでその日に支払いをしてもらえる肉体労働。
浴槽をエレベーターの無いマンションに運ぶような仕事だった。
彼の身体はボロボロになったのだった。

私は彼のことが本当に大好きだったし、彼の生活を支えてくれない妻が理解できなかった。
私なら彼をもっと大切にするのに・・・
この頃から彼に
「離婚して私と暮らそう」
言うようになった。

しかし彼は
「離婚にはお金がいる。別居もできるはずない。そんな大変なことできるはずがない。だから離婚はしたくない」

それが彼の決まり文句だった。
そして彼が決めたのは
「家庭を再構築して自分の居心地いい場所を作る」という事だった。

彼が私に頼んだことは
「オレとは別れたことにしてくれ。新しい彼氏ができたとSNSで発信してくれ」とのことだった。

辛かった。
でもお金がなくて必死で働いている彼に私ができることは、せめて、毎日帰る家庭の居心地がよくなることだろうと理解した。
SNSで新しい彼氏ができたと発信すると彼の妻は安定してきたようだった。

ある日の彼からの電話。
「ありがとう!奥さん安定して家庭がうまくいってる!ちょっと会話もできてるよ」
彼の明るい声に複雑な思いだった。

そんな中でも日に日に深くなる彼への思い。
「夫と別れたい」
毎日そのような事を思っていた。

ある日、究極の愛って介護じゃないかと思った時、今夫が倒れたら介護できるかと思うと
「絶対できない」と言う答えが出た瞬間
離婚を決意。
その日に家を出て、離婚をしてほしいの一点張りで夫に訴え、早期の離婚となった。

離婚したことを彼に事後報告すると
「えっ!離婚したの?生活していけるの?」
とまるで
「オレは何にも責任持てないよ。寄りかからないでね」
と言っているようだった(そう思っていただろうね)

生活は元々夫に頼ってなかった。
バイトを掛け持ちして子供を育てていたので、結婚していても母子家庭と変わらなかったので生活については何の未練もなかった。

ただ、私に線を引いたような彼の言葉には寂しさを感じた。
彼との付き合い3年、32歳のことだった。

⑦「離婚できない」と思い込む彼

年月が経つほどに彼との関係性はどんどん悪化していく。
別居して欲しい私と、別居して離婚できるはずがないと頑なに動かない彼。

「こんなに愛し合っているのに一緒になれないなんて!」
そんなことを言う私に彼は
「もう一緒に死ぬしかない」と言う。

離婚は死ぬより大変なことなのだろうか・・・
私はすぐに離婚できたのに。

私の孤独は日に日に増し、年末スーパーの駐車場に車を停めた時、
夫婦や家族で買い物に来ている人たちで溢れている様子を見て
吐くほど泣いた。

こんなに愛し合っているのになぜ一緒になれないのか。

かつて彼の妻が「愛ってなに?」ってSNSで私に問うたことがある。
妻の考える愛はお金だった。
子供にかけるお金、自分を食べさせるお金、
老後暮らせるお金を夫が考え、生み出してくれる。

家族のために稼いでくることが夫からの「愛」だと考えていた。

彼が「離婚してくれ」と言えば
「借金どうするの?!家族を路頭に迷わせるの!?私に働けって言うの!?」
これが妻の言葉だった。
いわゆる夫への心の「愛」については語られなかった。

そんな妻と一緒にいた彼は
「お金がなければ別居も離婚もできない」と強く思わされていたのだ。

生活費のために、かさんだ借金を抱えている彼にとって離婚なんて夢のまた夢だった。

「愛」とは何なんだ。

私は心の愛以外何もいらない。
彼に養ってもらおうとも思わない。
彼だけ・・彼さえいれば生きていける。
そう思い毎日のように激しく泣いていた。

彼との辛い遠距離恋愛はすでに7年が過ぎようとしていた。

⑧彼の別居、離婚、そして18年目に結婚できた理由

辛い毎日が続きすぎた私は、ある男性と知り合った。
独身で、仕事は世の中でエリートと呼ばれる職を持ち、優しかった。
「もう不倫から抜け出したい」
そんな思いで彼と付き合い始めた。

新しく付き合った彼には不倫をしていることも伝えたが、冷静だった。

「不倫はやめて僕と結婚しようよ」
そんな言葉が優しすぎて心に響いた。

もう辛い不倫はやめたい、平凡な普通の幸せが欲しい。
その反面、その平凡な幸せは、あの人と築きたかったという気持ちが、拭えなかった。

独身の彼は私の実家の近くに家を建てよう、娘の部屋は一番太陽の光が入るいい場所に作ろう、新婚旅行はどこに行こう、そんな夢のような話をしてくれた。
私をよく知る友人たちは、私の辛い不倫恋愛を知っていたので
「こんないい話はない!」と皆が喜んでくれた。

そしてある日心を決めた私は
彼に別れを告げに行く覚悟を決めた。
新幹線に乗り、これが彼に会う最後だと自分に言い聞かせた。

何も知らない彼は、笑顔でホームで待っていてくれた。
しかし私の不穏な空気に、段々と神妙な顔に変わってくる。

しばらく一緒にいたあと、彼は意を決したように口を開く。
「・・・最近どお?」

そんな彼の言葉に少し時間を空けて
「・・・愛しているよ」
と答えると彼はすべてを理解したかのように
声をあげて泣いた。
「嫌だ!絶対嫌だ!」
と言って私を抱きしめて泣き続けた。

「あのね、結婚するの。あなたのこと本当に愛しているけど、もう辛くて耐えられない」

そんな言葉に彼は黙り、泣き腫らした顔で私を新幹線ホームまで見送った。

帰宅してから2日後。
彼から連絡がきた。それは怒りに満ちていた。

「オレには君しかいないのに、勝手に男作りやがって!ふざけるな!
そいつを殴らせろ!名前と連絡先教えろ!」

という内容だった。

何度かやりとりしても、彼の言う事は変わらなかった。
「殴らせろ、連絡先教えろ」

私は婚約した彼にこのことを伝えるととても冷静に
「うんいいよ、僕の連絡先教えてあげて」
と言ったので連絡先を彼に渡した。

すると彼は急に意気消沈したのだった。
「ごめん」と。

そんな彼に今度は私が急に怒りが湧いてきた。
「私が幸せを掴もうとしているのに、あなたはそれを壊そうとした!
いいよ、壊されても。でも私の人生あなたが背負う覚悟があるから壊そうとしたよね?離婚するんだよね?!」

すると彼は
「ごめん。離婚できない。君の人生は背負うことはできない」
と返事が返る。

私は恐ろしい怒りを感じ我を失ってしまった。
「ふざけんなよ!あんた今仕事先だよね!今からあんたの家に行って家族めちゃくちゃにしてやるからね!もうあんたに帰る場所なんかないから
待ってろ!」

そんなひどい電話をすると
「待って!今すぐそっちに行くから、待ってて!」
そう言って彼はすぐに新幹線に飛び乗ったのだった。

数時間で私の住む町へ新幹線でやってきた彼。

新幹線から降りた瞬間、私は思いっきり彼の頬をビンタした。
彼はすっかり怯えた表情でその場で土下座をしようとしたので
胸ぐら掴んで立たせた。

「謝ればいいと思ってんのか!あんたのことが好きで好きで好きで死にそうなのに、頑張って自分の人生を立て直そうと思っていたのに
邪魔しやがって邪魔しやがって!」

そう怒鳴りながら大声で泣いた。
彼もボロボロと涙を流していた。

二人ともお互いのことが好きで好きでたまらない。だから二人で泣いた。

ホームではたくさんの人たちが私たちを見ていたけど関係なかった。

そして少し落ち着いて、ホームの椅子に二人で座った。
その時彼が言った言葉はあまりにも意外だった。

「オレ、もういいと思ってるんだ。家庭にはお金だけ渡せばいいと思ってる。6月にはこっちに来ようと思っているんだ」

彼は妻と別居して私の元に来るという宣言をした。


6月までにあと5か月あった。

この日に完全に彼とは別れになると覚悟してキレた私だったので
あまりにも夢のような言葉に時が止まった。

こんなことってあるんだ!

本当に彼が妻と別居して私の元に来るんだ・・・辛すぎた7年にようやく終止符が打たれるのね!と感動した私だったが
本当の地獄はここから始まるのだった・・・。

※個別お悩み相談を受けています。お申し込みはこちらから☟


ここから先は

6,136字

¥ 1,000

どうぞ応援よろしくお願い致します。今後もお役に立つ記事をお届けしたいと思います!