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天理教「みかぐらうた」第一節 まとめ

前回、文章が、長くなりすぎたので、まとめ。

「悪しきを払うて助けたまえ。天理王命」

神が人間に教えたこの言葉。
天理教のおつとめの場では、21回も唱える最重要の言葉です。
初心者はもちろん、上級者にまで通じる深い神の心が、この一節に込められているのです。

初心者
「神様、どうか私を助けて下さい」
中級者
「神様、どうか私の心を磨く力を貸して下さい」
上級者
「神様、私も神の一員として、世界を助ける天理王のつとめをつとめさせていただきます」

初めてこの言葉に接するとき、人間は、もう神でなければ助けてもらえないような事態に陥って、ワラをも縋る思いで、唱えるのでしょう。
「神様、どうか私を助けて下さい」という気持ちで。
けれど、この言葉には、神様が教えた言葉であり、神様が込めた深い意味があるのです。

そもそも「悪しき」は神から生まれないのです。
「悪しき」は、神の心を知らない人間の心からしか生まれないのです。
神様は、人間が生みだした心は、必ず受け取り、形に表して見せて下さるのです。
人間の心が喜び勇んでいれば、神様は、その心の通りに、全ての形を動かすのです。
つまり、人間が助かるのです。
これが、神様の胸の内です。
必ず、人間の心の通りに、神は守護するのです。
人間を作った神様は、「悪しき」は受け取りたくないのです。
けれど、人間の心は自由なので、神様には、人間が悪しきを生み出すことを止めることはできません。
しかし、この度、神様が表に現れて、胸の内を明らかにしたのです。
そこで、この言葉を教えたのです。

人間は、結果として現れた病や困ったことを、払って下さい、と神様に願うかもしれません。
けれど、人間が、神様は、その言葉の意味通りに、願いを聞き届けるのです。
すでに病や困ったこととして形に現れている悪しきと、神様が受け取りまだ現れていない悪しきを、払うだけではありません。
「悪しき」を作る原因を、払うことに力を貸すのです。
人間の心を、改めるために力を貸すことになるのです。
最初は、唱えただけで、病が助かったりします。
それで、神様の「力」を信じることが出来るのです。

次に、神様は、人間が神様の「心」を信じられるよう導くのです。
人間が、どんな状況の中にあっても、物事にとらわれずに、神の胸の内を信じて、喜び勇んだ心でいられるように、鍛えて下さるのです。
神様は、神様が受け取っている悪しき心を利用して、ちょこちょこと軽い病や困ったことなど見せて下さるのです。
その中、人間は、どんな状況も、これが今までの自分の心の結果なのだと理解して、今までの喜べない心を乗り越え、喜び勇んだ心に切り替えていくのです。
これで、自分の心から悪しきの原因が払われるのです。
すると、神様が見せた病や物事も、自然と治まっていくのです。
なぜなら、心を鍛えるために見せたのですから、その目的が果たせたら、もう見せる必要はないのですから。
心を鍛える道中において、病や困ったことは、自分を滅ぼしにやってくるのではありません。
心を鍛える道中は、神様に守られた中で、磨かれるようになっているのです。
こうして、次々と鍛えられて、神様が「これでよし」と言うところまで磨かれたら、もう悪しきは生み出すことはないのです。
それどころか、自分の喜び勇んだ心が、世界を喜びに満ちた世界に変える原動力となるのです。
「悪しきを払うて助けたまえ。天理王命」
この言葉は、そもそも神が、人間と世界を創造するときに唱えていた言葉です。
地場の甘露台でつとめられる「神楽つとめ」は、神様の働きをそのまま形に表したものです。
ですから、神楽つとめを拝することは、神を拝することになるのです。
そこで、唱えられているのが、「悪しきを払うて助けたまえ。天理王命」です。
神が、「悪しきを払うて助けたまえ。天理王命」と唱えているのです。
え? 神が、自分に向かって、助けて下さいと、願っている?
どういうことでしょうか?

天理王命という一人の神様はいないのです。
天理王命とは十柱(神様は、1人2人ではなく、1柱2柱と数えます)の神様の総称です。
天理王命とは、人間で言えば、一つの法人格みたいなものです。
十柱の神様が、「悪しきを払うて助けたまえ。天理王命」と唱えているのです。
何かに似ていますよね。
会社の社歌や、学校の校歌です。
「未来に羽ばたけ、○○○(会社名、学校名)」などと皆で歌いますよね。
「悪しきを払うて助けたまえ。天理王命」も、同じ構造の歌だと考えることができます。
会社も学校も、一つの意志を持った存在ではありません。
そこに所属する一人一人がそれぞれの役割をつとめて、会社や学校が存在しているのです。
校長だけで先生や生徒がいなければ、学校として機能できていないのです。
神様のつとめも同じなのです。
十柱の神様がそれぞれの役割をつとめて、初めて天理王命の働きが出来るのです。
そうして、世界と人間を創造してきたのです。
けれど、最後の一点、「人間が楽しく暮らす世界」は、神様だけでは創造できないのです。
このたび、神に創造された人間も、天理王のつとめを、つとめる時が来たのです。

今や、天理王のつとめも、神だけでは、機能しないのです。
もちろん、人間だけでも機能しません。
人間が、神の胸の内を分からず、ただ「困ったから助けて下さい」というような心で、いくらつとめても、天理王のつとめは機能しないのです。

喜び勇んだ心を生み出す人間、人間の心を受け取り心通りに形を現す神、その形を見て喜ぶ人間。
これらが全部揃って、天理王のつとめが機能するのです。
そうして、神の心を分かって喜び勇む人間の心の通りに、世界が喜びづくめの世界に、改まっていくのです。

「悪しきを払うて助けたまえ。天理王命」
これは、人も唱え、神も唱え、喜びの世界を創造していく最重要の言葉なのです。
そして、天理王のつとめをつとめて人間と世界を創造してきた存在が、神と呼ばれているのです。
ならば、今、天理王のつとめをつとめ始めた人間も、神の一員だと言えるのです。

私達人間は、神の計画通りに、神のシステムの一部に組み込まれていく部品なのでしょうか?

いいえ。私達は、知っています。私達自身の心は、自由である、と。決して神の計画の部品ではないのです。そして、神は、自由を永遠に保証しているのです。
神様は全知全能です。全てを知っています。けれど、未来が全て神の計画で決まっているということではないのです。未来を決めているのは人間自身なのです。ただ、神は、人間が使ってきた心を全て知っているので、人間の未来を知っているに過ぎないのです。
私達は、本当に自由なのです。
私達は、私達が真から望むことを、どこまでも実現していけばいいだけなのです。
私達が真から望むものを阻むものが「悪しき」です。
「悪しき」を払うのも、私達の自由の心で為すことなのです。
私達が「悪しき」だと認識できた「悪しき」だけが、私達の心から払われるのですから。
私達は、私達の自由の心が真から望むものを、実現する道理を知ったのです。
それが、「人間の心通りに守護する」という「神の胸の内」です。
心さえ作れば、あとは神が形を守護する世界なのです。
逆に、形は、神が自由に動かすものであって、人間には全く動かせないのです。
それを知らないがために、目的のために、手段に手段を講じ、心の奥の真の目的を見失い、手段が目的化し、「悪しき」を心に宿すようになったのです。
しかし、神の胸の内が明かされた今、手段よりも、何を目的として心に宿すか、目的そのものが大事だということが分かったのです。
何事も心通りに実現するなら、実現してしまうなら、心を磨き上げることが一大事なのです。
余計な「悪しき」を払い、自分の心の奥底から沸き起こる真の望みを、磨き上げるのです。
それこそが、私たちが従うべき私たちの神なのです。

私達は、心も自由であり、形も神が心通りに守護して下さるのです。
つまり、人間は自由自在の存在なのです。
これが、悪しきを払った後に見えてくる人間像なのです。

つづく

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