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十数年前の今日という日

※mixiからの再掲です。
過去の同じ日にちのことを書いているので、辛い方はすぐ戻って下さい。
これは主人格の体験談になります。









東日本大震災から2年が経ちました。
あの時を思い出し、涙を流しながらニュースを見ています。

当時は大学の終業日で、掃除が終わって教室で待機していました。
自由時間だったので、課題をやりに7階のPC教室に行った友人もいました。

そんな中、東日本大震災が起きました。

僕達は、外に出て大きな揺れに怯えながらも無事でした。
7階に行った友人達も、先生の指示が早かったので廊下に出て無事でした。
廊下では先輩方がラベルデザインを手掛けたワインボトルが全て割れ、PC教室内のPCも落ち、棚も倒れてきたそうです。
実際の写真も友人に見せてもらいました。
つい数時間前までいた教室だとは思えないほどでした。

幸運だったのは、兄達と僕は同じ大学だったこと。3人で家族の情報を共有しました。
調理師の父が職場で帰宅難民者の泊まりこみの世話をしていて帰れないこと、母が1人で家にいること…。

大学は家から電車で1時間30分ほど離れたところで電車は動かず、僕は帰宅難民になりました。
学校の好意でおにぎりを振舞ってくださいました。
更にありがたいことに、学校から徒歩20分程の友人が1人だけ家に泊めてくれることになりました。
他の帰宅出来ない友人は、寮や大学から徒歩1分の友人宅へ泊めてもらえました。

友人宅に着き、落ち着いたところで友人がシャワーを浴びに行った頃、衝撃的なニュースが流れました。


「浜辺に2000人の御遺体」

ショックで言葉を失い、涙が止まりませんでした。
ニュースを見ていると、亡くなった方の数があり得ない早さで更新し、もはや本当の数が分からない状態になりました。

肉体的にも精神的にも疲れきった僕達は寝ることにしましたが、恐怖と余震で数分ごとに起き、結局1時間も寝られませんでした。

朝になると友人が朝食を作ってくれて、食後にテレビをつけてくれました。
当てになるか分からない情報でも、電車が動き出したとのことで駅まで友人が送ってくれました。
電車は遅れましたが乗れ、大学で長男と合流しました。
動いている電車を駆使し、家から2つ手前の駅まで着き歩いて帰りました。

僕が大変だったのはここまでです。
他にも色々ありましたが、文字数が足りず…(追加、元はmixiの日記なので)

もっと大変な思いをした方も、特に大きな被害が無かった方も、「14時46分」皆で黙祷しませんか?
乱文・長文の日記で失礼しました。

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毎年時間に黙祷してるのに、俺が体調不良で寝落ちたせいで夕方に黙祷しました。
黙祷の時間が長すぎて心配されました。