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カミーノになった私【マドリッドからブルゴスへ】DAY1

DAY1
ブルゴスへ向かうバスの中、二人は窓の外を見ると声を失った。なぜかって?
そこには雪山しか見えなかったからだ。しかもバスの横を吹雪が強く吹いていた。
「これはいったい...。」
巡礼の道を歩くのに適した季節は春か秋ということは聞いていたのだが、まさかスペインの冬がこんなにも寒いだなんて。しかし二人はもう後戻りできなかった。大丈夫、なんとかなるよ。そう自分に言い聞かせ、外を見るのをやめることにした。
二人の不安げな顔を見て何かを察したのだろうか。隣に座っていたフランス人のお姉さんが「チョコ、食べる?」と笑顔で話しかけてきた。
彼女はそれ以上何も言わなかったが、二人には十分すぎるほど彼女の優しさが伝わっていた。
旅に出ると日常生活では見落としてしまう人の優しさを沢山感じ、見つけることができる。
そのチョコひとかけらも、お姉さんの優しさも。二人は自然と笑顔になっていた。

5時間後、二人はブルゴスに居た。ついに始まるんだ。ここが自分たちのスタート地点なんだ。バスから飛び出した二人は少し早足に歩いていた。が、気づいた。
「これはどこに向かってるんだ?」
二人の楽観主義さには自分でも笑ってしまう。無計画にもほどがある。
「とりあえず教会でブルゴスのスタンプをもらおう。」
二人は一番近くにある教会でスタンプをもらい、詳しいことはそこの人に聞くことにした。
右に進むのか、左に進むのかもわからない。その未知なる未来に心臓が大きく揺れ、体が熱く興奮している。この感情は初めてではなかった。
幼い頃、よく学校が終わると裏山に走って行った。折れた枝を持ち、小さな山の頂上に立ち
自分の住む小さな町を見下ろして自分はこの町を治めたんだ、とよく妄想していたことを思い出した。その時の感情と一緒だった。
目の前に広がる景色は全く異なる。でも気持ちは10歳の頃の私そのものだった。
教会でスタンプをもらい、このまま右へ進んで行けという教えの通り二人はただひたすらに右へ続く道を歩いた。20分ほど歩いた先に黄色い矢印が見えた。これがサンティアゴでコンポステーラへの矢印だった。こっからの道はただ、この黄色い矢印に従って歩いてゆくだけだ。初日の天気は曇り。雨が降らないことだけを祈って二人は歩いた。
「今日は10km先にアルベルゲがあるみたい。」(カミーノ用の安宿)
時計は16時を指していた。急げば18時にはアルベルゲに着くだろう。二人は初めてのカミーノの道に興奮し、雨が降ろうと何の心配もすることなく歩いていた。
18時。辺りが暗くなってきた。
「アルベルゲたぶんこの辺ちゃう?」
二人は歩く足を止め、マップを見直した。確かにマップはここを指している。
自分たちが立つ左側の家がアルベルゲだと。しかしその家にはなんの看板も無く普通の家にしか見えなかった。
「とりあえずベル鳴らしてみる?」
二人は少し迷ったがベルを鳴らすことにした。すると窓から5歳くらいであろう女の子が不思議そうにこちらを眺めていた。
「このアルベルゲは家族経営なのかな?」
そういいながらドアが開くのを待っていると、1人のおじいさんがドアを開けてくれた。
が、彼もまた不思議そうな顔で私たちを見た。
何かがおかしい。
一瞬戸惑ったが、自分たちはカミーノだ。アルベルゲのマークがここにあった。今夜泊めてくれないか。と伝えると、彼らはまだ不思議そうな顔をしていた。そしてこういった。
「ここはアルベルゲではないんだ。きっとそのマップは昔の情報を載せているのかもしれない。あと5㎞ほど歩いたところに大きなアルベルゲがあるから。そこへ行ってみなさい。」と。
謎が解けた。この家はアルベルゲではなくただの家だったんだ。夜に知らないアジア人が大きな荷物を背負って押しかけてくるなんて怖すぎる。
そのことに気付き、二人は頭を下げて謝ると、彼らは気にしないで、よくあることだから。と笑顔で言ってくれた。
また道に戻った2人はマップを見ることもせず歩き出した。まだ元気はある。時間は既に19時前だった。辺りは完全に暗くなり、行き交う車の光だけが自分たちを照らしていた。
真っ暗闇の中、二人はただひたすらに歩き続けた。約5㎞、目の前にはアルベルゲの文字が記された大きな看板を掲げる建物が二人を待ち構えていた。
「やっとついた!」
寒さで手の感覚はもうすでになかった。手袋をとり、ベルを鳴らす。
誰も出てこない。
「おかしいな。」
もう一度ベルを鳴らすが反応がない。そして変だ。このアルベルゲ、やけに静かだ。
二人の頭に最悪の事態がよぎった。だが人間というものは不思議で自分が信じたくない事実からは目を逸らし、これは現実ではない。と思い込もうとするのだ。
まさしく二人がその状況に陥っていた。代わりの案が思いつかない為に「どうする?」という言葉さえ出てこない。
気温1℃。暗闇。異国。二人の心に灯っていた火はいつ消えてもおかしくない状態だった。

すると後ろから声がした。
「あなたたち、そのアルベルゲは閉まっているよ。」
振り返るとお年寄りの夫婦が立っていた。どうやらさっきたまたまこの前を通りかかって私たちを見かけたらしいが、心配になって戻ってきてくれたらしい。
やっぱりこのアルベルゲは閉まっているんだ。頭では分かっていたが、いざそれが現実だと耳から聞くと不安は一気に大きくなり、今にも押しつぶされそうになった。
「このあたりでどこか泊まれる場所はないかな?」
そう聞くと彼らは冬の時期はどこも閉めているから、申し訳ないがわからない。と答えてくれた。
途方にくれる私たちを見かねたのか、一人の男がどこからとなくやってきた。
「君たち、アルベルゲを探しているね?」
男は不安そうな顔を一切見せず、むしろ笑顔で私たちに話しかけてきた。
「そうなんです。どこのアルベルゲも閉まっていて...どこか開いているホテルは知りませんか?」
そう尋ねると、男は言った。
「この先ラべという町がある。ここからは5km程離れているがそこにあるアルベルゲは冬でも開いているからそこに行くといい。」
ここから5㎞。少なくとも1時間はかかる。もう歩く以外に選択肢がなかった二人は藁にもすがる思いでそのラべという町まで歩くことにした。
声をかけてくれた夫婦と男に別れを告げ歩き出そうとすると男は
「僕も途中まで一緒に歩くよ」
と言い、寒い暗闇の中を共に歩いてくれることになった。歩きながら話しているとどうやら男も遠い昔にフランス人の道を歩いたことがあるらしく、カミーノについては少しばかり他の人よりも詳しいとのことだった。自分も巡礼中に困難を経験したからこそ、困っている巡礼者を見て見ぬふりはできない、と。2㎞程歩いた所で男は
「ここから先は1本道だから。大丈夫だね?」と言った。
その優しさと温かさに二人の心にある消えかかっていた炎は再び赤く燃え上がっていた。
「ムチシマス グラシアス!」
スペイン語で最大の感謝を伝え二人はまた、歩き出した。
その1本道は思っていた以上に暗く、というのも街灯が一つもなく人っ子ひとり居ない道だった。ライトを持ってこなかった二人は道を照らすこともできないため、自分の五感に頼るのみだった。少しづつ目が暗さに慣れてきた。大きな声で鳴く蛙の音だけがやけに響く。
「まさか1日目からこんなことになるとはね。」
「ほんまにすごいわ。」
二人は自分たちに起こっていることが現実だという感覚がなかった。なんだか夢を見ているような、そんな気分だった。
黙々と歩き続け、住宅街のような街並みの通りに着いた。このどこかにアルベルゲがあるはずだ。見落とさないようにしっかりと一軒一軒、確認していると明りの灯った家があるではないか。二人は大きな声で喜びの歓声をあげたくなった。が、まだそれがアルベルゲだと確定したわけではない。万が一閉まっていたらそのショックが倍になってしまう。期待する気持ちを心の隅っこに追い払い、恐る恐るドアをノックした。
「ガチャ」
ドアが開き、中から優しそうなおばさんが顔を出した。
「ここに泊まることはできますか?」
そう聞くと彼女は大きく頷き、
「寒いだろうから早く中におはいり。」と言いった。
やっとだ。やっとアルベルゲを見つけることができた。
本当に心が折れてしまいそうになった。でも、今こうやって暖かい建物の中に自分が居ること。寝る場所が確保されたこと。諦めずに歩き続けれたことに二人は少し、いや大きく、感動していた。
アルベルゲを見つけることができたことに喜びの声をあげていると、それに気づいたのだろうか奥から2人のぺリグリーノが顔を覗かせた。彼らはにこやかに笑い労いの言葉をかけてくれた。
「もう少しでアルベルゲを閉めようとしていたのよ。だから間に合って良かったわね。」
おばさんは受付をしながら優しく話してくれた。
「お腹は減ってる?」
そうきく彼女に二人はこれでもかというくらい頷いた。なんせ昼に食べたマンゴーとビスケット以外口にしていなかった為、二人の空腹はピークをとうの昔に通り越していた。
「今から食事の準備をするから、先にシャワーを浴びておいで。15分後にここにまた降りてきて。」
二人は案内された部屋に荷物を置き、さっそくシャワーを浴びることにした。
冷え切った体に温かいシャワーのお湯がものすごく心地よかった。朝、マドリッドを出てから初めてホッと一息ついた瞬間でもあった。シャワー室から出るとスープだろうか、ものすごく良い香りが2階まで登ってきていた。
下へ降りるとそこにはサラダ、スープ、トルティージャ、パンそして赤ワインがボトルで置かれていた。どう見ても二人分でない量に驚いていると、
「これはあなたたちのディナーだから、たくさん食べてね。」と、彼女がデザートにと、フルーツまで持ってきてくれた。
なんて豪華な料理なんだ。たった2人の為にここまで作ってくれるなんて。スペイン人の優しさを今日という一日で沢山感じた二人はいつもより穏やかな気分でワインを飲んだ。
疲れ切った体にワインが沁みる。スープもサラダも、全てが本当に美味しかった。
あまりの美味しさに言葉を失い、ジェスチャーだけで会話をする二人を見ていたぺリグリーノが笑いながら話しかけてきた。
「君たちは本当に幸せそうにごはんを食べるね。」
彼はポルトガル人でスペインのバルセロナから自転車でフランス人の道を旅しているとのことだった。アルベルゲが見つけられなかった話をすると、彼らは教えてくれた。冬に開いているアルベルゲは全体の3割もなく、残りの7割程はこの時期は営業していないとのことだった。
そんなことさえも知らずに歩きながら宿を探していたのかと。無謀にもほどがある。二人はそんな自分たちの無謀さを反省するばかりか少し誇らしげにさえ思った。その無謀さが人の優しさに気付かせてくれ、その無謀さが二人を強くしたから。こんなにもワインが美味しく感じれるのもこの無謀さのおかげであろう。
計画というものは物事をスムーズに進めていく為には欠かせないものだ。しかし無計画というのも悪いものではない。起こった出来事、良し悪しはあるだろうけどその両方を受け入れることで自分の限界に気付くこと、知らなかった自分の感情に気付くことができる。
そして物事はその時に自分に必要なことしか起こらないと私は思う。天は自分が乗り越えられるほどの壁しか与えないのだ。その壁を乗り越えた先に自分が得るものこそ、その時の自分に必要なものなのだ。諦めずに心の炎を燃やし続けた二人は人の温かさ、ワインの美味しさ、そして横になって眠れることに最大の喜びを感じ幸せな気持ちで眠りについたのだった。