見出し画像

日常のMapとReduce


Googleで「map reduce」を調べると、分散処理のフレームワークであるMapReduceで1ページ目がうまる。

が、今日の話はそういうテクニカルな分野に限定された話ではない。

考え方的に日常の中にもこれと似たパターンがごろごろ転がっている。一度気づくといたるところにある。しかし、気づかないと、悩みの種になることが多いように感じたので書いてみる。


MapとReduceはパターンである


そう、これはパターンなのだ。もしかしたらなにか法則的なものかもしれないのだが、今のところ、これはパターンだと思っている。

ではどういうパターンかというと、

「とっ散らかしてから、まとめる」

ということだ。

※ 厳密な言葉の定義はすっ飛ばしている。



なにに気付いてほしいのか


「とっ散らかす」がMap、「まとめる」がReduceなのだが、この2つを別々の独立した作業として取り組んでいる人や場面をよく見かけるのだ。

それぞれが全体の作業工程の一部分をなすプロセスではなく、逆にひとつひとつが独立していてあたかも別々の作業のようにやってしまっている。

そういう状況にいる人に問いかけると、決まって「それでなにが悪いのか?」という反応になる。

ご本人がそれでなにも問題なく仕事を遂行しているならそれでよいのだが、どうもそうではない。

状況を分析(振り返り程度)すると、

・目的なくとっ散らかしている

・理由なくまとめようとしている

ことに気づく。

このように分離して作業していると、物事の前後関係が弱くなり、やっていることのロジカル感が極度に薄れる。

するとだいたい見かねた上司から「お前はなにを(無駄な行為を)やっているんだ」とお叱りを受けるわけだ。(で、私のところに相談しに来るわけである。)



どうすればいいのか


この問題の解消法は実は(言葉の上では)単純だ。

・まとめることを見越してとっ散らかし

・目的をもって容赦なくまとめる

心構えとしては、この2つだけである。

説明を加える。

これからやろうとしていることのどの工程がMapに相当するのか、どの部分がReduceに相当するのか、この観点でプロセスを俯瞰する。この俯瞰作業が先。前提なので。

その上で、「とっ散らかし行為(Map)」には必ず「まとめ作業(Reduce)」が付随することを念頭においた上で思いっきり躊躇なくとっ散らかす

そして、とっ散らかした目的を思い出す。なんのために散らかしたのか。そうだ!まとめ(Reduce)るためなのだ、と。だから、容赦なくまとめる。無駄なものはバッサバサ切っていく。

このような思いっきりの良さ、潔さを取り戻せれば、結果として作業がシンプルになり、無駄が省ける。そうなれば、ロジカル好きの上司からも気に入られるであろう。



まとめ


私はこのMapとReduceのパターンが、仕事や生活の中のいたるとことにこのパターンがあてはまると思っている。

こうやって言語化するとその見方に同意してくれる方も多いのではないだろうか。

この観点を手に入れると、物事の関連性が以前よりもクリアに見えてくる。

このことが一番の効用ではないかと思っている。

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?