(江戸研究)性の売買について

※この記事はプロ奢サロン(三ツ星スラム)の江戸研究内での資料です。


昨年、千葉の国立歴史民俗博物館で「性差(ジェンダー)の日本史」という企画展示が行われていた。Twitterで見かけ気になっていたがコロナ的にも博物館に行くのは控え、かわりにこの民俗博物館でしか販売していない史料集があったので購入していた。せっかくなので、この機会に一部共有したいと思う。

300ページ以上のボリュミーな史料だったが気になった部分は「性の売買について」


中世の遊女は自立した経営だった

「売春は最古の女性の職業」とも言わており、9世紀後半に史料のなかに初めて性を売る女性が登場した。遊女と呼ばれるようになっていくこの女性たちは芸能と売春のほか宿泊業も兼ねるなど、独立した営業者として自らの生業を女系の「家」を通じて継承し、遊女の集団を形成していった。中世の遊女たちは社会の一員として特別の差別を受けることなくさまざまな階級の人びとと関係を結びながら生活していた。

16世紀末以降の統一政権後女性の人身売買が制度的に認められた

16世紀末以降売買によって女性の人身を手に入れた男性の遊女屋が制度的に認められ、大きな城下町の遊郭だけでなく、宿場や湊町など全国にも拡大した。

人身売買が容認された要因の一つは、近代国家が集団の自立性に依存していたため、内部に介入しないことを原則としていたため。また、17世紀以降広く成立してくる小農民や町人の「家」の家父長的な性格が、家内の女性や年少者を売るという行為を安易にした。

幕府が女性の売買を前提とした性的欲望管理のしくみを広く公認した

さらに兵農分離に基づく城下町創出と深くかかわって性売買のシステムが生み出された。

城下町江戸は、参勤交代する武士、屋敷に多数抱えられた武家奉公人など単身・独身男性が膨大に集中する特異な人口的都市であり、18世紀半ばまで男女の人口比は2対1という極端にアンバランスだった。

考察

「近代国家が集団の自立性に依存していたため、内部に介入しないことを原則としていたため特殊な人身売買が容認された」件について、集団の内部に国家が介入しないため、その内部はブラックボックスになっている現象は私達が生きている今現在でも似た構造として「家族」があるのではないか。外からは家族内で何が起こっているのか見えにくいし、国からすると面倒な問題は家族内で処理してもらった方が楽だ。

DVや虐待、養育者が子供へのわいせつ行為などは過去からずっとあったはずだが、国家が家族の自立性に依存していたから介入してこなかったということと構図が似ている。
DV防止法が施行されたのも平成13年と最近だし、ここ数年裁判を傍聴していても養育者の子供へのわいせつ行為の事件は増えているのもようやく、国家が介入ができてきたとも言える。

国家(各集団の上位集団)が各集団の自立性に依存するということは、その内部は立場が弱いものが犠牲になりやすい。外部からは見えない各集団内部の、弱者の犠牲の上で国家(各集団の上位集団)が成り立っているともいえる。

集団内に他者が介入できるようになった方が弱者にやさしく成熟した社会に近づいている現象の一つとも思う。

サポートしていただけたら、日頃の傍聴活動の経費として使わせていただきます!