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君たちはどう生きるのか

昨日、"君たちはどう生きるか"を観てきた。
行き場の無い感じたことをここに書いておく。

自分の好きなように生きたいとか、誰かのために生きたいとか、またその逆もあるだろう。
誰のことも考えずに、自分の好きなように生きたらいいとか、誰かのために生きなさいなど。
多くの含みを持たせた人の言葉は、歳と共に自分の軸を錯覚させる。
地球の軸はずっと前から傾いて生きてるのに。

この作品は、言葉ではすぐ伝えられない自分にしか拾えない(見つけられない)何かがあった。
答えや正しさを求めながら、錯覚と自己確信を繰り返し、私は今をどう生きるのか。

あなたはどんな原体験を持っているのか、どう生きてきたのか、後先を取っ払った"今をどう生きるか"を考えずにはいられなかった。

noteに登録した5年前。アルバムに入っていたこの写真をnoteのアイコンに選んだ。
目立つのにじっとしている鳥を見ながら、自分がそこにいるような気がした。

誰にもわかってもらえなくてもいいと思いながら、誰かに伝われと念を送り、少しは伝わったかなと思えた瞬間の純粋な喜びを知る。
私にとって今を続けられる理由だった。
どんなことに対しても、普遍的なものを見つけることで伝えたい何かがあった。
日が昇る ご飯を食べる 服を着る お風呂に入る 日が暮れる 布団で眠る。

この空白に何を感じてもらえるだろうと。

映画を観た後、どこにどれだけの感情が動かされたのか忘れてしまった。一緒に行った子どもたちは歴代作品のオマージュ探しに夢中で珍しくポップコーンが半分も残っていた。

最後の手書きのエンドロール
祈りのような「つなげ」の言葉が浮かんでは離れなかった。
そんな映画です。

#君たちはどう生きるか
#繋げるとは
#繋がるとは

頂いたサポートは自分を甘やかす為に使わせて頂きます。でも娘3人に使うと思います。