自己満足を全面に出して、感じることは何か

カラオケの楽しさがいまいちわからない。
自分が歌うことに自信がないのもあるけど、"自己満空間"になるあの感じがとても苦手。

高校生まではそこまで嫌いではなかった。行く機会が多くなかったこともあるが、行ってもせいぜい2人〜4人くらいの少人数。みんなが知っているような曲で盛り上がったり...たまにはちょっとマイナーだけど、その人の歌いたい歌を聞いたり、時々は歌わないで話したり...カラオケが終わった後、"あの時のあれ、おもしろかったよね!"みたいな、共通で持つ"おもしろかったネタ"が自然と生まれる、そんな過ごし方だった。
自分の歌がうまい下手は関係なく、そういうのも許容して楽しい空間だった。

そんな私がカラオケを苦手、行きたくないと思うようになったのは大学生からだった。

大学のとき、サークル仲間でカラオケに行く機会が多かった。同期の大半がカラオケ好きで、もちろんうまかった。うまい歌を聴くのは、それはそれで楽しい。でも、終わった後に"何も"残っていない。この人はこういう歌が好きなんだとか、久々に懐かしい歌を聞いたなとか、そういうのは残ったけど。

初めの頃は人数が多いからそうなってしまうのかと思っていた。それまで4人くらいがマックスだったのが、大学生になってから2倍くらいのメンバーで行くようになったから。

でも、違う。それが原因ではない。
同期と行くと歌っているときに、"孤独感" を感じるのだ。

自信がないから余計そう思うのかもしれない。だが、他の人が歌っているときに懸命に次の歌を入れる操作をしたり、次の曲のイントロなどを携帯で聞いたり、歌詞を見返したり...歌っている人のことはどうでもよさそうだった。自分が歌うためにそこに存在しているかのようだった。聞いて欲しくて歌っているわけでもなかったのだと思う。私も聞いてよ!と押し付けるようなことは全く思っていなかった。

だけど、各々が歌いたい歌をとりあえず歌って、いかにうまく歌うかに余念がない様子を全面に出されると、ただただ萎える。"つまらない" に集約される。そういうことがしたいなら、1人で行けばいい。そこに他者を必要とするのはなぜなのか。もっといえば、それなりの人数の場でそういうことを自然とやり、それに各々満足している感じが私は苦手だった。

せっかくみんなで居るなら、みんなで話したりしたほうが楽しいと思うし、お互いのことを知れるのに。"みんなで行く"ということは、自己満足ではなく、全体的な楽しさのようなものを作ることではないのか。

原因に思い至ってからは、サークル仲間でカラオケに行くことはやめた。 社会人になってからも、そのときのいや〜な感じが頭に浮かぶので人数が多くなると基本行かない。たまに、止むに止まれず付き合いで参加したときに、自己満ではなく、みんなが知ってそうで、テンポが良いのをチョイスして歌ってくれる人や、他の人が歌っているときに一緒にノッている人を見ると少し安心する。
それでも、私にとってあの経験は強烈だった。

他のみんなは、あの空間で何を感じていたのだろうか。
チーム競技(バスケ)だったのに、卒業してから一度だってメンバーで集まる話が出たことがないのは(グループラインも動いたことない)...こういうところからもチームの雰囲気を省みることができる気がする。
カラオケとチーム作りに直接の関係はないけれど、チームの関係性は出来事に現れるのかもしれない。

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