見出し画像

永遠のアイドル10.~南沙織

皆さん、おはこんばんちは。
私が愛してきたアイドルについて書いております「永遠のアイドル」シリーズ、今回は「南沙織」さんについて書きたいと思います。


南沙織

書こうと思ったきっかけ

実を言いますと、南沙織さんについては、私はそれほど「推し事していた」という訳ではありません。
その理由は、これから書いていくことでだんだん分かっていただけると思いますが、では何故「書こう」と思ったか。

その理由は、ハッキリとしています。

それは昨年、私が推し事しているアイドルグループ「ばってん少女隊」の現場で、ある方とお知り合いになったからなんです。
ハンドルネームを書きますと、その方のプライベートに触れてしまいますので、イニシャルから取って仮に「Cさん」としておきます。

そのCさんと初めてお目にかかった時、
「実は私、南沙織の…」
と、ご自分の素性を話されたんですね。

それを聞いた時はとても驚いたんですが、その後もSNSで会話を交わしてみて、その「関係」が「本当」だと分かりました。

そして…

先日、南沙織さんのご主人である写真家の篠山紀信さんがお亡くなりになりました。

その一報が「めざましテレビ」で流れた前日、私はそのCさんとXのポストで南沙織さんの想い出話をやり取りしていたんですね。

その時、私は思ったんです。
っていうか、ハタと気が付いたんです。

「南沙織」という稀有のアイドルが、私の中で確実に生き続けていたということを…

いや、南沙織さんはまだご存命ですので、亡くなった方の想い出が、という意味ではありません。
そうではなく、私の中にある

「アイドルが好きだ!」

という想いの原点が、まさに南沙織さんだったということに気が付いた、という意味なのです。

ですから、この「永遠のアイドル」シリーズにも絶対に書き残しておかねば、と思いましたので、今これをしたためているという次第です。

それでは。書き進めて参りたいと思います。


生い立ち

以下、データ・情報はWikipedia及び公式サイトより、画像は公式サイトより引用しています。

みなみ沙織さおりさんは、1954年〈昭和29年〉7月2日、沖縄県中頭郡嘉手納町生まれ、宜野湾市育ち。
本名は、内間明美(結婚後の現姓は篠山)、
エキゾチックな顔立ちをされており、最初の頃はフィリピン人とのハーフであるとされてきましたが、正しくは両親とも日本人で、お母様の再婚相手(義父)がフィリピン人です。

デビューまでの経緯いきさつなどは、↑上にリンクを貼っているWikipediaに詳しく書いてありますので割愛します。
ご興味のある方はぜひ、読んでみてください。

デビュー時の印象

歌手デビューは1971年〈昭和46年〉6月1日、デビュー曲は「17才」。
実際の年齢と同じタイトルの楽曲でした。


私は、沙織さんの6つ年下で当時は11歳、小学校5年生でした。
この年、それまでの白黒テレビに代わって、うちにカラーテレビがやってきたことをはっきりと覚えています。

その色付きのテレビ(笑)で見た沙織さんの姿、歌声が、こちら↓

↑これは「第13回日本レコード大賞」の新人賞発表時の動画です。

実は私、冒頭にも申し上げました通り、沙織さんのことはそんなに意識していませんでした。
もちろん、可愛くていい曲だなというのは感じていましたが、この年はもっと印象的な人物がいたからなんですね。

それは、この年のレコード大賞で沙織さんらを抑え、最優秀新人賞を「わたしの城下町」で受賞した小柳ルミ子が、なんと私の実家のすぐ近く、福岡市早良さわら西新にしじんという町の出身だったんです!

テレビの中の人が、そんな近くの町から出てきたというのは本当に衝撃的で、博多どんたくの舞台に「小柳ルミ子が来るらしい!」というのを聞いて、家族で見に行ったくらいですから😍

アイドル感バリすご!

しかし、小柳ルミ子はどちらかというと演歌っぽい曲を歌っていましたが、沙織さんは当時はホントに珍しかった、アイドル感バリバリの楽曲を歌っていました。

「17才」は後に森高千里がカバーしていますので、今の若い人たちは彼女のオリジナル曲だと思っている人も多いでしょうね。
沙織さんの「17才」を知っている人は、おそらくアラフィフ以上の方たちでしょう。

しかし、リアルタイムで聴いていた私の脳内で「17才」のメロディに乗っかっている声は、間違いなく沙織さんの声です。

その他、印象に残っているのは、こんな曲たちです。

「ともだち」(1972年2月1日リリース)


「純潔」(1972年6月1日リリース)


「傷つく世代」(1973年5月1日リリース)

↑この「傷つく世代」は、後の山口百恵にも通じるテーマだと思いますし、

♪ああ どうして人など 愛してしまうの

この「の~」の部分のしゃくる歌い方は、後に松田聖子が継承している歌唱法ですね。

「人恋しくて」(1975年8月1日リリース)


そして、私的に一番印象に残っているのが↓この曲です。
「色づく街」(1973年8月21日リリース)

♪ああ 青い枯葉かんでみたの(1’30~)
の歌い方が、言葉にできないほど大好きです!


著名人のファン

芸能界にも沙織さんファンは沢山いました。
特にフォーク歌手の吉田拓郎は、かまやつひろしと組んで「シンシア」という、沙織さんに捧げる曲を発表しています。

「シンシア」とは、カトリック信徒の沙織さんの英語名「シンシア・ポーリー」からとった愛称です。
ちなみにシンシア(Cynthia)とは、 月の女神、蟹座の守護神の意味で、蟹座生まれの沙織さんにピッタリです。

懐かしいですね。
♪シンシア~ hu hu
のフレーズがエモくて、めっちゃ思い出に残っている曲です。



歌手活動引退後

Wikipediaの文章を引用します。

24歳の誕生日を迎えた1978年7月2日、当時在学中だった上智大学での学業に専念するため、歌手活動にピリオドを打つ事を突如発表する。翌7月3日には、南自身の誕生日パーティーでの席上と、及びフジテレビ系音楽番組『夜のヒットスタジオ』の生出演時にも、改めて活動停止の詳細報告を自ら行った。さらに引退に際し、同年9月25日放送の『夜のヒットスタジオ』においては「南沙織 サヨナラ企画」が放送され、同期デビューで奇しくも同じ誕生日だった小柳ルミ子(年齢は南が2歳年下)や、当時同じ所属事務所(T&C ミュージック)だったピンク・レディーらが共演し、特に小柳と増田恵子が感極まって惜別の涙を流していた。
(中略)
1979年、引退後に交際がスタートしたという写真家の篠山紀信と結婚。紀信との間には3人の息子をもうける。次男の篠山輝信は、2006年に俳優デビューを果たした。

Wikipediaより

結婚した篠山紀信さんは、デビュー当時の沙織さんの印象を

「彼女の登場は、返還を目前とした沖縄のイメージ・アップのための国策歌手かと思ったくらい良かった」

Wikipediaより

と語っています。
79年の結婚後、亡くなる今年の1月4日まで45年添い遂げられたわけですが、ほとんど一目惚れだったのではないでしょうか。

78年の引退後、1991年の第42回NHK紅白歌合戦へ、1977年の第28回以来14年ぶりに出場し、「色づく街」を歌いました。
登場するシーンでは、作詞家の阿久悠が執筆した沙織さんの紹介文を渡辺美佐子が朗読し、BGMに「17才」のメロディーを流すという演出でした。

これが、↑上に貼った「色づく街」の動画です。

シングル発表から18年も経っていたんですけど、そこで書いた
♪ああ 青い枯葉かんでみたの
の歌い方は現役当時と全く変わっていなくて、動画を見返した時に鳥肌が立つくらい感動してしまいました。

そして、冒頭でご紹介したCさんはこの紅白歌合戦の会場にいらっしゃったそうで、「これを見たのは一生自慢できます」と語っています。



日本で最初のアイドル

南沙織さんは、Wikipediaによると

「世代的共感を歌うアーティストの始まり」
「日本におけるアイドルの第1号」
「元祖アイドル」
と評価されることもある。

Wikipediaより

という記述があります。

また、「今月の隊員さん」でおなじみ、アイドルのことに詳しいふくみみんさんは、

アイドルの系譜は、1971年デビューの南沙織さんを起点として論じるものが多い。例として、中森明夫『アイドルにっぽん』(新潮社、2007年) 、香月孝史『「アイドル」の読み方』(青弓社、2014年) 、さやわか『僕たちとアイドルの時代』(星海社新書、2015年) など。

引用は→こちらから

と書き記されています。

私は勉強が苦手で(草)、こういった文献はほとんど読んでいないので勉強になります😀
※ただ、私が経験してきた自分なりの「アイドル論」を「永遠のアイドルシリーズ その07.~広末涼子」の回で書いていますので、もしよろしければ読んでみてください。

沙織さんの話に戻しましょう。
公式サイトでは、

彼女の登場は、21世紀を迎える今のJ-POPシーンまで連綿と続く大革命だっ た。10代の若者をターゲットに、世代的な共感を歌うアーティストのスタ ートであり、サウンドも筒美京平を核においた洋楽的コンセプトからの発想で音作りが進められ、当時新進気鋭の有馬三恵子による自己主張がうまくちりばめられた詩によって、それ以前とは全く異なったコンセプトのエンタテインメントとして成立したのである。

Art of loving(南沙織公式ページ)より

との記述があります。

私はティーンエイジャーだった1970年代後半から、20代になった1980年代にかけて、アイドルに入れ込んできました。

その系譜をこの「永遠のアイドル」シリーズに書いてきたわけですが、南沙織さんがデビューされた時はまだ11歳で小学生でしたし、中学校時代はスポーツの部活(卓球部)に勤しんでいたこともあり、アイドルに入れ込んで今で言う「推し活」を始めるのは、高校生になってからになります。

その時には、6歳年上のお姉さんだった沙織さんよりは、年齢が近かった榊原郁恵(1つ年上)や松田聖子(2つ年下)にのめり込んでいくことになりました。

ですから、冒頭で述べたように沙織さんについてはそれほど「推し事していた」という訳ではないんです。

けれど、今回こうして振り返ってみると、小学生なりに
「日本で最初のアイドル」
として、私の心の中に刻まれていた南沙織さんの存在は、本当に本当に大きかったんだなと感じています。

南沙織という稀有なアイドルと、リアルタイムで出逢えた幸せに感謝します。

このブログをCさん、南沙織さん、そして故・篠山紀信さんに捧げ、御冥福を心からお祈り申し上げます。



それでは。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
また逢えるから、この言葉が言えるんですよね。
ごきげんよう、さよならDestiny!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?