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狂猿の生き様

先日、デスマッチレスラー葛西純選手のドキュメンタリー映画「狂猿KYO-EN」を観てきました。

以前、葛西純選手の自伝を紹介した際、この自伝はドキュメンタリー映画を観る前の予習にもなると記事の中で書きました。

どうやら、それは部分的に正しく、部分的には間違っていた様です。

自伝の中で語られる人間関係や裏話を知る事で、デスマッチや葛西純選手の歴史に詳しくない人でも、映画の中で語られるエピソードが理解しやすくなるのは確かでした。

ですが、映画の中で映し出されるデスマッチの凄惨な映像美…これは実際に本編を観てもらわないと絶対に伝わらないと確信できます。

2019年のクリスマスの興行、コロナ禍を経て再開した試合、そして弟分である竹田選手の負傷欠場をきっかけに組まれた若きチャンピオンとのベルトを掛けた凄絶な闘い・・・

蛍光灯が砕けて肌に突き刺さり、凶器と狂気が飛び交うリングの中で技を掛け合う選手の身体を滝の様に伝わる鮮血、そしてそこから問答無用に伝わってくるデスマッチ狂い、葛西純の在り方。

ショッキングな場面も多々あるのに、気が付けば目が離せなくなる美しさがデスマッチにはあるのだと納得させられました。

そして、本作を通じて改めて感じさせられたのは「葛西純」という男の驚くほどの2面性でした。

実の所、本作でデスマッチ場面が映るのは過去の試合の映像も含めて半分程度でしょう。それでも強烈なインパクトが残るのは確実ですが。

その他の部分では葛西純選手が休場を決めてからコロナ禍の中で日々を過ごす心境や、家族の方とごく普通の夫婦や親子として過ごす日常風景などが描かれています。

その中でインタビューに答えたりする「葛西純さん」は、この人がリングの上ではあんなに相手と自分を痛めつけるデスマッチに身を投じているとは思えないほど理性的で、驚くほどあっさりと(失礼を承知で言えば)ガタイの良いおじさんとして日常の風景に溶け込んでいるのです。

思えば、自伝の方もその中で語られるエピソードこそぶっ飛んでいるのにも関わらず、しっかりとした文体で終始綴られていたのが思い出されました。間違いなく根は真面目で誠実な方なのです。

プロレスラーにあこがれて身一つで上京した北海道出身の純朴な青年・葛西純を「デスマッチのカリスマ 葛西純選手」にしてしまう程に人の人生を狂わせる何かが、デスマッチのリングの中に確かに存在するのです。

そして幾多のデスマッチの果てに刻まれたその傷だらけの身体に、更に新たな生傷を増やしながら戦う葛西純選手の生き様に、間違いなく魂が震えることでしょう。

これからも進化を続けるカリスマ・葛西純選手から目が離せないな、と改めて感じさせてもらいました!!

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