見出し画像

怒涛の中でヒーリングを考える

例えば。スピリチュアルやヒーリングが怪しくなるのってなんでだろうと思うんです。その結果、いいことしか書いてないから。という結論に、旦那の脳波測定中に思いました。

私はいいことがあったら素直に書くけど嫌なことも意外とばら撒きます。ただ、嫌なことがあった場合、それを乗り越えてる姿も書いています。スピリチュアルが怪しくなるのは、これをしたらいいことがあるよ。これを信じればいいよ。って良い側面しか言わないから。なのではないかと思うんですね。

私はスピリチュアルって問題が起きている時にこそ力を発揮するなぁと考えているタイプです。例えば、前回の記事でJちゃんの記憶のことを書いてますが、様子がおかしい、アタフタアタフタでは万が一脳梗塞とか起こしてたら取り返しがつかないわけです。自分にヒーリングをして一度10秒ほどで落ち着き、両家実家に電話連絡をしました。

果たして救急車を呼ぶことが適切なのかということだけは正しい判断をしたかったのです。記憶がなく、現在を認識できない以外は自立歩行も実は会話の受け答えもできていました。(本人は話したことも何をしていたか動作の記憶もないのですが)ただもし、見えない部分での血管が詰まったことによることであれば、それを動かしてしまうリスクを考え今回は救急車にしました。記憶が欠如していたことの出来事は逐一メモとSNSを活用したので正確に伝えることができました。

もちろん、私はどっと疲れましたが、両家実家のサポート、友人の暖かい言葉や励ましをもらって、配偶者としての勤めを果たして今日は元気に出勤していきました。

これ、家族が不和だったら絶対できないし、信頼ができる友人がいてくれるからこそ乗り越えられたわけです。スピリチュアルって潤滑油というかスパイスというか。日常のアップダウンの波の中で生き抜くために必要なサポートの一種だと私は考えています。

スピリチュアルを勉強したから、お店ができて、将棋にも出会ったから師範や推しや、仲間ができて。今年はそれらを融合して垣根を超えた交流ができて。すっごくお金持ちなわけでもないし、なんならすっごく毎日大変なことも多くて、でも。今日もみんなが幸せそうで頑張っていて、どこかで私をみてるわけで。

支えてもらってても死にたくなるくらい昨日はしんどかったけど、ゆっくり寝て起きて、今日は息抜きしてこよと思える毎日は。とても幸せだと私は思っているし、今辛い人がその術を身につけることで今すぐでなくても数年後あの頃やってよかったなって言えるなら、やっぱりスピリチュアルをやっててよかったなと思えます。

まぁ。今日も結局私は幸せなのですね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?