見出し画像

-Calling-

人生の中で天職につける人はどのぐらいいるのだろうか。
似た用語で"適職"という言葉がある。
これは自分にとって得意な仕事のことを意味する。

時に私は天職・適職につけていた。
過去形なのは症状の悪化により、仕事を続けられる状態ではなくなり、退職をしたからである。

身体の麻痺さえなければ働いてた。
例えパワハラされようがくださらない妬み・嫉妬から嫌がらせされようが、鬱で適応障害であれども。

"天職と適職" 時に何故私がこの両方につけていたかというと、自分の障がいを理解した上で
"出来ること" "出来ないこと" を判別し
適した職を選び、その中でも私が興味のある職種につけたからである。

働いていたときは男社会ということもあり、幾度となく苦労もあったが何よりも"楽しい"
"女性でも戦力になることを証明する"ことを目標とし、働いていたため、向上心の塊であった。

時にその努力が認められ、"初めての女性社員"として昇進させていただいた。
社員になった故に、仕事量は膨大に増えたが、それでもやり甲斐を感じていた。

しかし、突如告げられた事務への異動。
人手が足りていないのと、商品を知らないと難しいという点、他の若手男性社員2人はPCができないから、私にその異動の話が必然とかかってきた。

私は腰を痛めていることから、事務作業をずっと行うのは難しいことは、学生のアルバイト時代に検証済みであった。そのため、お断りをした。
しかし、異動は免れず、権力で圧倒された。

それでも、頑張ろうと思っていた。
"見返したい" この想いが特に強かった。

そのため兼務という形を勝ち取った。
事務の仕事も研修期間が1ヶ月短くなる程、すぐに対応でき、腰のことがなければ適職であった。

しかし、立ちはだかるのは障がいである。
仕事はできても障がいがある限り、できないことは山ほどある。
しかし、それを私は我慢して痛みを堪えて仕事をしてしまったため、今に繋がる。

(続)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?