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あの日ポプラの木が送ってくれたエール。

私は何故か、引っ越しても引っ越しても、ポプラの木に見守られるような生活をしています。
まずは実家時代。自分の部屋からポプラの木が見えました。あまりに風景に溶け込んでいて意識していなかったけれど、ある時急にその木の魅力に気づき、部屋の窓から見えるなんて、なんて幸せなんだろうと噛み締めるように感じた時がありました。

ずっとそこにあったのにその魅力に気がつかず、やっと気づいた頃に、その木は伐採されてしまいました。

でも、家の近くの遊歩道にも、ポプラの木はありました。何となくもやもやすると歩きに行き、私の頭の中のおしゃべりを聴いてくれる相手のように思っていました。

そして一人暮らしをすることになり、引っ越しの朝。やはりその日も私の足はポプラの木の所へ向かいました。いつでもここへ来れる日は今日で最後。突然来なくなったらあれ?って思うかもしれないし、挨拶に行こう。

そしたら、ポプラの木の葉っぱに、小さなシーサーが引っかかっていました。

え、シーサーって、魔除けだよね?これから一人暮らしが始まる私にぴったりじゃない?

拾った方がいい気がして迷わず葉っぱから外して大事に持ち帰りました。「ありがとう。」と言って。
ポプラの木からのエールだった気がしたのです。
「今日引っ越しするので今までのように毎日は来れませんが、必ずまた来ます。」引越しの挨拶もばっちりです。

そうして引っ越した先でお散歩コースを探していると、またポプラの木に会いました。

そして結婚して家を構えた今も、やはり近所にはポプラの木が。

下の子の妊娠中に切迫流産になり安静の指示が出た時。始めは本当に病人のように過ごしていたけれど、これでは精神の方が先にやられると思い、近所の公園までの往復だけ、ゆっくりゆっくり歩くのはいいことにしよう。そういうマイルールにしました。
あの木に、会いたくなりました。

ポプラの木を見上げながら、お腹の子が無事育って出産できますように。産まれたら連れて来ます。私たち家族を、ずっと見守っていて下さい。
私には神社に祈りを捧げるのと同じ感覚を、ポプラの木に、抱いていました。

吉本ばななさんの小説で、「ひとりのアロエを助けたら、これからいろんな場所で見ると、どんなアロエもみんなあなたを好きになるのよ。植物は仲間同士でつながっているの。」そんな話がありました。

また別の本でも、植物は地中で繋がっていて、あの人は大切にしてくれるよ。だとかの情報共有をしている。そんな話も読みました。

あぁ、やっぱり。

もしかして、歴代のポプラたちがずっと、バトン、渡してくれてた?

初めにポプラの魅力を教えてくれた、切られてしまったあの木から、始まっていたのかな?

切られる前に、好きになって眺めてくれる人が出来て、嬉しかったのかな?

「私は切られちゃうから、次、頼むね!」

「引っ越しちゃうのか、魔除けあげるから、一人暮らし気をつけてね!」

「あの人今度そっち行くから、よろしくね!」

「お腹の赤ちゃんのこと、一緒に見守るよ!」

無事出産した今も、産まれたら産まれたで、心配のない日はありません。
でも、不安が生まれても、私には預けに行く場所がある。今度はしばらく引っ越しはないはずだから、今のポプラには長くお世話になりそうです。

私たち家族の成長をそっと見守ってくれている頼もしい木がいる。

桜が咲く頃、あの日エールを送ってくれた木に、会いに行こうと思います。

今も大切な我が家の小さな魔除け





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