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不登校と教育システム

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こんなにでっかく取り上げるのは、時代が少しずつでも動いているってことなんだろうな。

私の子育て時代は同時に支援学校での不登校対応に明け暮れていた時代でもあるけど、その頃は「不登校はわがまま」とか「障害を持った子供は問題児」扱いで、「公教育」と言う範疇にハマれない子供たちは言葉は悪いけど不良品扱いだった。

でもね……

基準はどこに置くかで物事は変わるし
世界の広さをどこまで知るかによっても全体像の見え方は変貌する

私からみたら、学校教育の世界はものすごく狭くて窮屈だったから
はみ出すくらいのキャパを持った子供達が、苦しくなって行かれなくなるのは「当然」で、そういう子たちの受け皿を用意しないことは、日本という国の未来にとって大きな「損失」だから、「はみ出した子たちの受け皿を作りたい」と学校をやめて居場所づくりをスタートした。

それが信州あそびの学園

だけど公的支援どころか、森の活動一つとっても世の中の理解は追っ付かなかった。

お金がなくてもできることをできる範囲で

そう考えてやってきた十年間は、支援員や家庭教師で稼いだお金を、あそびの学園に注ぎ込み、支援金や助成金を獲りに必死で走り回った。

10年間の実績は、信頼と関係性を生み出して、ようやく理解のある関係機関とのつながりが出来つつある。本当にようやく、学校の中と外と両側に居たからの繋がりができた。

あとは…    資金。

どんなに自分の中にできることや情熱があっても
たくさんの親御さんや子供たちが助けを求めてきても
自分ができることをやるためにはいろいろ必要になり、そのためにはお金が必要で、現時点では「受益者負担」でやるしかない。

今までは身銭を切ってきたけど、若くて体が動くからできて無茶だったことは実感しているから、自分が潰れないためにも……それからそういう自己犠牲の上に成り立つ教育は、結果としてどこかに歪みを生み出すから、「お金をあるべきところにきちんと回す」流れを生み出すためにも止めた。

現時点では受益者負担だけど
この記事のように声を上げる。

教育は全ての人に(あえて子供に限定しない)それぞれにあった形で、さまざまな場で、保証されるべきもの。
人の世が、よい形で進化発展するためには、これは不可欠な要素。

ただ、大人になれば、自分の得たい学びを、自分に投資することも可能だが、子どもたちはそれができない。

だからこそ、一人一人の子どもたちが、それぞれのうちに秘めた可能性を感じ、見つけ出してそれを適切に伸ばして育てるためには、言葉だけで「多様性を育てる」と言っていてはもう無理。

そういう「多様な学び場」を用意して、子どもたちがそれをいろいろな形で選択し、自由にその中で教育を受けるシステムが必要。

そしてそれはこれまでの「公教育」ではキャパオーバー。
だから不登校が増えている。
じゃぁ、何をどうすればいいのだろう?

⭐︎公教育のキャパを増やす

これができれば一番いい。

でもそれにはめちゃくちゃ時間がかかるしお金もかかる。
人材育成だけでも相当時間がかかる。(そういう教育ができていなかった公教育の中でやってきた多くの教員が、対応できないから)
だから、それを目指すと同時にやること

⭐︎すでに多様な教育を実践している場や人と協力連携する

これが一番早いはず。
莫大なお金と時間をかけて巨大な要塞となっている公教育を根本から改造するよりも、たくさん生まれつつある、特性を持った多様な学びの場を、サテライトとして活用する。

その方がずっと早くてより多様で柔軟な教育システムができる。

ここに「助成」とか「援助」という形で公的資金の流れを作る。
公的資金はもっと見える化してどんどん動かす。

今までは「均す教育」だったがこれからは「とんがった教育」が必要
オールラウンダーな子どもだけでなく、もっともっとスペシャリティーも積極的に育てる方が、世の中元気になれるはず。

こういうさまざまな学びの場への公的支援は
日本が元気になるための大切な投資。
そう考えてもらえたらいいと心から思う。

いろいろな人たちが笑顔で過ごせる世の中めざして、これからも発信続けていきます!是非サポートお願いします。😊