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レッスン7.自分の輪郭を知りたいと思った日の話

3月20日、「ネットニュース第1回モヤモヤ王決定戦」なるイベントに行ってきました。このイベント、中川淳一郎さんと山本一郎さんが昨年末まで行っていたイベントを、2人の若手編集者が引き継ぎ、若干の変化を加えてリスタートしたものです。

当日は、ゲストに3人の編集者・記者さんらを迎え、「ウェブ編集者の年収って高いの?」とか、「ウェブ編集者のキャリア設計ってどうなの?」とか、そういうモヤモヤを計6つ(アフタートーク含めると7つ)話していきました。キャリア設計でモヤモヤを抱えていたので、他の人がどう考えているか知ることができて、有意義ではありました。

ですが。

今、このイベント中の演出に「これはどうなの?」という目が集まっています。

要は、中川さんと山本さんから引き継いだ2人の編集者が、中川さん山本さんを故人として扱った悪ノリが、「冗談だとしてもどうなのよ」と言われています。

司会の2人は、中川さんから直々に指名を受けてイベントを引き継いだそうです。察するに、仲の悪い関係ではないのでしょう。悪意に基づく演出ではなく、むしろ愛情表現だったのだろうと思います。

実はイベント内では、常見陽平さんによるビールの一気飲みもありました。これは、会場に遊びに来た常見さんが一人で勝手に「中年ってなんだ!これだ!」ってコールし始めて、勝手に一気飲みしていたので、企画側の演出ではなさそうです。司会の2人も唖然として見ていましたし。

私はここで、故人演出にしてもビールの一気飲みにしても、企画した人たちをどうこう言いたくてこの文を書いているわけではありません。ただ、こうしたものに関して私が覚えた違和感をオープンにすることで、ウェブメディア界隈の誰かの目に触れた時に感想を聞いてみたいと思ったから書いている、それだけです。

自分に関しては、故人演出は、会場にいたときには周囲の笑い声を聞いて「あ、ここ笑うところなんだ」と認識して笑顔を作ったし、togetterのまとめを読んで初めて「あ、違和感持ってよかったんだ」と思ったりしたので、「あー、その場に適応しようとしすぎて自分の意見を認識できなくなっているんだな」と自己理解が1つ進みました。収穫があったので良しとしましょう。

咀嚼できないのが観客の反応です。会場には、普段、人の心に何か届けようとしている人たちがいて、取材や記事掲載を通して少し世の中がよくなったらいいなあと考える人たちがいて、なんならストップ一気飲み、みたいな啓発もどこかでしているかもしれなかった。なのに、故人演出は笑い声が聞こえたし、常見さんの一気飲みは、止めるどころかコールや拍手で煽る音が聞こえたし、なんだかそれが辛かったんです。

笑った人は、中川さんや山本さんと「死ねよ」とか冗談を言える間柄の人だったのかな、とか。
常見さんはそういうキャラクターとして認識されているから、止めるのは場を白けさせるって思ったのかな、とか。
普段記事で発信したいこととここでの振舞いは、整合性取れているのかな、とか。

色々思ってぐるぐるしています。

もちろん自分の流されやすさというか、日和見なところを発見して凹んでもいます。自分が自分が、って言う人は嫌われるって言うけれど、私はもう少し、いやだいぶ、自分が何をどう考えて、受け止めて、何が好きで何が嫌いなのか、意識的に把握したほうがいいんだろうなと。周りの目や後から陰でなんか言われたら嫌だとか、気にしない練習をすべきなんだろうなあって反省しています。

場の空気と違うからってすぐに自分の意見を変えるのではなく、まずは人の目を気にしないで物事を考え、表現し、相手と話して納得してから変える人になろうと思った春の夜の話でした。

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