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姉:実はブスと呼ばれてみたかった話

定期的に顔で病む。自分の顔醜すぎるだろ、ということに突然気付いて急に病む。病むと全然抜け出せなくて困る。鏡見なきゃいいだろって話なのだが、鏡見てないとその間毎秒醜くなる気がして見る。

中高は女子校だったが、女子校というのは顔に特に自信がない人にとっては天国である。女子というのは身内に対してだけは美の基準を著しく下げる傾向にあるので、8割くらいの人は周囲に「可愛い」と言ってもらえる(2割は言われないというところがシビア)わたしは8割であった。

別に自分が可愛いとは思っていなかったが、他人から可愛いと言ってもらえると「とりあえず救いようはあるんだな」というかりそめの安心感を得られるので、楽しかった。女子校というのはどれくらいモテるかみたいな明確な基準がないので、8割の内部でのランク付けは意外と難しく、なあなあなのである。残りの2割の人についても、可愛いと言われないだけで別に顔を理由に人権が剥奪されるようなことはない。何故ならモテるという概念がないので、顔の良し悪しは直接の利害に関わってこないのである。


そんな天国のような女子校を卒業後、わたしは大学に入り、はじめてわたしは自分の顔について「可愛くない」と言い切られる経験をした。「可愛くない」と控えめに言い切ってきたのは1人や2人ではないが、思いっきり「ブス」と言い切られた時は絶望の衝撃波で全身が粉砕する勢いだった。

しかし、わたしはこの時心の奥底で奇妙な安堵感を得ていた。そう、わたしはブスと呼ばれて何故かちょっと楽になった、というかもはや嬉しかった。何故だ。よくわからないまま、何やかんやわたしはブスと呼ばれる状況を何故か受け入れる。

冷静に考えるとブスとか普通に罵倒用語でしかないので、他人に面と向かってブスとか言う時点で何かがダメであり何か言い返すべきであったという当たり前過ぎる結論が導けるのだが、当時わたしはブスと呼ばれる謎の安堵感に浸っちゃっててそれどころではなかった。

何故ブスと呼ばれて安心しちゃったのか。これは結構謎が深かった。色々ぐるぐる考えた。考えてまた自分の顔でちょっと病んだ。2018年秋頃のことである。当時の日記に「可愛いよって美人に言われて慰まるとでも思ってるのか美人よ」とかいう謎の短歌がある。その次の短歌が「花びらをくちびるに貼る息を止めこのままじゃ死ねないと泣き出す」。いやこのままじゃ死ねないに決まってるし死なないでくれ自分。留学先で病み過ぎだろ。


そんな感じで色々考えてた時、日本はちょうどいいブス論争の季節であった。要は「ちょうどいいブスのススメ」的な本(タイトルよく覚えてない)がドラマ化するってなって、いやちょうどいいブスとかないから!!!女の子はみ〜んな可愛いし努力もしてるのでブスって言葉を使うのはやめてください!!という形の炎上であった(違うかもしれない)。

いやはや、ほんとこういう炎上はやめてほしい。「女の子はみんな可愛い」説はマジで絶対虚構。普通に考えてブスな女存在してるし。ブスはいます。「女の子はみんな可愛い」=「可愛くないと女ではない」の間違いだろーが。殴るぞ

とかなんとか1人で怒りに燃え盛っていたところ、ここでわたしはあることに気付く。もしかしてわたしはブスと呼ばれることよりも、「女の子はみんな可愛い」という理論の方がずっと怖かったのではないか?女の子たるもの可愛くいなきゃいけない!という圧力がかけられてることにずっと怯えているのではないだろーか。みたいなことにふと気付いたのである。

そう、本当にこれなのである。そもそもわたしは自分を元々可愛くないと思っていたので、「可愛くない」と言い切られても別にショックじゃなかったのである(勿論必要以上に可愛くないって言われたら傷つくだろうけど、自然な文脈で言われたからあんまり気にならなかった。自然な文脈で可愛くないって言われるって何だって感じだが…)。
むしろ、可愛くなくても人権を侵害しないでいてくれることに感謝する勢いだったと思う。まあ「ブス」という言葉を使うことに関しては普通にモラルがないと思うのでやはり普通にアウトだが。
結局の所、可愛くなくてもいい、という状況がわたしにとっては最も居心地がいいのである。

あともう一つ大事なのは、可愛くない、と言い切られることによって、(可愛いってみんな言ってるけど実際自分は可愛くないのでみんなは本当はわたしのことを可愛くないと思っているんだろう…)という意味不明な人間不信から抜け出せたことである。可愛くない、という意見の存在によって可愛いという意見の信憑性が増したのである。そんなこともあるのである。

世の中女の子は可愛い説が蔓延りすぎだと思う。まず普通に可愛くない女はいます。ほんといます。救いようのないブスって普通にいます。みんなかわいくなれるっていうのは嘘ではないけどあくまでその人個人の当社比の話なのであんまりアテにならないと思います。


女子校の話に戻るが、女子校というのは顔の美醜がそんなに利害に関わってこないので、可愛くある必要は全然ない。可愛くありたいかどうかは個人の趣味のレベルである。その上でみんな(正確には8割)に可愛いって言いまくるという優しさがある。適当に可愛いって言ってるだけっていう説も根強いが、実は女子は結構本気で可愛いって言ってるパターンが多いんじゃないだろーか。女子は身内に対してはガチで可愛いのハードルを下げる力があるので、意外と本気で可愛いって言ってたと思う。本当に可愛くない人には可愛いとは誰も言ってなかった。けど別にだからどうってこともなくみんな普通に暮らしていた。可愛いって言われない2割も可愛いと言われないこと以外は別に何の差もない存在であったと思う。多分。もっとも2割の人が個人的に病んでた可能性はあるが。

最終的な結論:顔の美醜が利害に直結し過ぎて世の中で生きるのがたまにつらいけど、直結させない生き方を模索したいと思ってる人もいるので、女の子全員カワイイ論はあまり優しくない。
むしろ可愛くなくても生きられる感じにしてくれ。


まあ可愛いって言われると結局かなり嬉しいので、わたしのことを可愛いと思った人にはやはりそれを伝えてほしいという気持ちもある。

あと繰り返しますがやっぱりブスは普通に言ってはいけないやつなので、普通に言ってはダメです。

#姉妹
#女子校
#顔面