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自己紹介と、なぜチェコの医学部?

はじめまして! チェコ医学生 駒井マキと申します。
チェコはプラハのカレル大学で医学を学んでいます。

今回は初投稿につき、自己紹介となぜチェコの医学部を選んだかをお伝えします。

これからチェコの医学生の生活やチェコ在住の日本人としてお役立ち情報も発信してまいりますので、どうぞよろしくお願いします!


略歴

・小中学校は地元の公立学校
・東京都の某国立高校を卒業
・日本の某国立大学医学部に合格するも、同年カレル大学第一医学部に進学
・2024年1月現在 2年生

 学校には授業がチェコ語か英語のコースがありますが、私は英語のコースに属しています。世界各国から集まった学生とともに日々勉強しています。

なぜチェコの大学へ?

 そもそも海外大学への正規入学に興味を持ちだしたのは、中学2年生です。当時は医学ではない学問を志していました。それに際し、当初はアメリカ、後にヨーロッパの大学について調べるうちに、大学のあり方が日本と異なることに気づきました。

 例えば、欧米の大学では学生は主体的に学ぶ必要があります。大学側が学生を卒業させるべく積極的に努力することはほぼありません。日本の大学では補講や、時には受かるまで再試まで設けられ、卒業がほぼ確約されているのに対し、欧米の大学では自習能力が至らない学生は、退学や留年になります。実際私の代は、1年から2年に上がる際に3割ほど人数が減りました。

 そして、大学入試の果たす役割も異なります。欧米の大学は入学時の選考もありますが、本当の関門は入学後に待ち受けています。しかし、日本の大学は入試こそが関門です。日本の客観的で採点基準が明確な試験問題は公平性を保つ一方で、難しい問題を解くことが目的となりやすく、問題を解く能力に応じて大学/学部を決める、という手段の目的化も見受けられます。事実、有名大学ほど卒業後有利に働きますし、根拠なく入学した大学が自分に合っていた、ということもあるでしょう。しかし、私はその現状がどうも腑に落ちませんでした。

 これら等の理由から、当時高校生の私は、欧米方式の方が理にかなっており、本質的だと感じたため、進学を強く希望しました。

 その後、医学部に目標を絞ったわけですが、欧米の大学への羨望は途絶えませんでした。そこで欧米で医学を修めるべく、情報を集め始めました。進学の仕組み、言語、日本人学生の数、学費、大学/国の世界的地位、卒業年数、卒業後の進路などを考慮し、ヨーロッパのチェコに決定しました。

 さて、ここまで、あたかも日本の大学が欧米の大学に劣るかのような理想論の大義名分を振りかざしてきましたが、実際のところ一長一短です。いざ来てみると、「これが日本の医学部だったらどんなに楽だったか!」と思うことも多々あります。この話は末尾の「おまけ」に回します。

なぜ医学部へ?

 一言でいうと、精神の健康と身体の健康は切っても切り離せないものであり、その関係性を学ぶことで、人間の本質が垣間見えると感じたからです。

 私は兼ねてより精神に興味がありました。特に人格形成と死に関しては掴みどころのない謎が多く、関心があります。

 人格形成に関して、生まれたばかりのヒトの人格はある程度可塑的です。
後に他者との経験が引き金となって、とフロイト式に考えるか、その経験を利用して、とアドラー式に考えるかの違いはありますが、少なくとも過去が現在の思考パターンや他者との関わり方に影響を及ぼして、ある人の人格となります。あるときはその思考パターンや他者との関わり方が精神の不調に、そして体の不調につながります。科学的に説明がつく身体の病気でも、とどのつまり、家庭環境など過去の経験が影響している例もあります。

 また、死に関しては、身体は本来分子の塊のはずです。しかし中には、信じるかは別として、臨死体験をしたり、そこにいない人間が霊として見えたり、霊に憑りつかれて心身に異常をきたしたり、会ったこともないご先祖様を心の拠り所とする人がいるわけです。このような話を聞くと、身体と精神はもしや異なる時間軸の上に存在するのだろうか? 死とは何か? と疑問が湧きます。

 このように、過去と現在の精神、精神と身体は人間とは何たるかを語るうえで、切っても切り離せない主題であり、その関係性を学びたい、では人間の仕組みを学ぶためには医学がよいと考えました。同様の理由で、哲学や心理学などにも興味があります。

【おまけ  実際にチェコの大学に来てみて感じていること】

「なぜチェコの大学?」の項では、高校生の私がいかにチェコの大学に惹かれたかを書きました。しかし、いざ来てみると「これが日本の医学部だったらどんなに楽だったか!」と思うことも多々あります。

 まず、私の大学では自主性が尊重されているわけですが、それは裏を返せば、勉強の道しるべが与えられないということです。
 今週分の内容の梗概だけ伝えられ、必要だろうこと勉強して授業に行ったら、勉強していない部分の説明を求められ「なんで知らないの。」という態度をとられると「それ覚えて来いって言わなかったじゃないか!」とか思いますね。実際に勉強する他に、能動的にどのリソースから何をどのように勉強するかを考える時間が必要なので、この時間を削れたらどんなに楽か、と常に思います。

 それに対して日本の医学部では、特に私立では、国家試験の合格率が学校の評判となることもあり、教育熱心な印象です。日本の医学部に通っている友人と喋っていると、時たま手厚さに驚かされます。また、CBTや国家試験という、客観的で答えの定まる試験があるため、知識の大切さに緩急がつけやすそうだと感じます。

 無論、社会に出れば誰かに手取り足取り何かを教えてもらえる機会は減りますから、その訓練だと思えば悪くもないですが、チェコ方式のストレスは大きなものと思います。

 そして、医学部は多かれ少なかれ苦労の連続なので、チェコの学生は誰も彼もモチベーションが高いと思いきや、そうでもありません。親に勧められた以上に何の動機もないけれど、それでも試験に受かるのが上手いがために進級するといった人が一定数存在します。そのような学生がよい医者になるかは別として、試験のための最低限の勉強しかしないので、良く言えば効率がよい人々です。

 次に入試についてです。
 先に、日本の試験は公平性が保たれる反面、問題を解くこと自体が目的になりやすいことを指摘しました。学校や学部によりけりですが、多くの場合欧米の大学では筆記試験の難易度はほどほどです。いかにミスをせず超特急で解くかという難しさはありますが、日本の入試問題ほど熟考せずに解けます。そして多くの場合エッセイや、あるトピックの口頭での説明、特にアメリカでは課外活動といった、主観的な評価を含む選考があります。これにより、テストで点数を稼ぐ能力以外の、人間性や価値観を測ることができます。

 学校が求める学生像と問題を解く能力に必ずしも相関はないので、欧米式が本質的に思えますが、私はむしろ周りの学生の問題を解く能力が足りていないと感じるときがあります。試験問題が易しい弊害として、うわべの暗記でどうにかなるからこそ、大して理解していないケースがあるからです。

 例えば、きちんと理解していれば導出できるのに、公式が存在する基本パターンに少し毛が生えた瞬間、公式がないからといって問題に歯が立たなくなったり、分数の計算では約分せずいちいち小数に直すせいで無駄に時間がかかったり、概数を使って計算した答えをさらに概数にするので小数点以下がまるっきりずれていたり、日本の小学生でもできるような暗算が電卓を使わないとできなかったり、という場面を目の当たりにしました。

 大学を選ぶにあたって理想郷はありませんし、どうしても隣の芝生は青く見えます。海外大学進学を考えている方は、何に重きを置くかをよく考えて決定するのがよいのではないでしょうか。

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