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大阪市の神社と狛犬 ⑲阿倍野区 ⑥股ヶ池明神~大蛇伝説の神社の狛犬~


大阪市阿倍野区の地図と神社


大阪市には、現在24の行政区があります。阿倍野区は、上町台地の南の高台に位置し、古くから大阪南部の交通の要衝として栄えてきました。天王寺区との区境にある北部には交通機関が集結し、多くの商業施設が建ち並んでいます。特に、地上300mの高さを誇る超高層複合ビル「あべのハルカス」は、天王寺・阿倍野のランドマークになっています。区名の「阿倍野」は、古代にこの地を領有していた豪族「阿倍氏」の姓からとする説が有力です。

今回は、前回の松長大明神と同じく「明神」という名がつく「股ヶ池明神」にお参りします。股ヶ池明神は、桃ヶ池公園の中ほどに鎮座し、大阪メトロ御堂筋線「昭和町駅」、谷町線「田辺駅」、JR阪和線「南田辺駅」から、それぞれ徒歩で10分以内の距離にあります。


ももヶ池明神

■所在地 〒545-0012  大阪市阿倍野区桃ケ池町1-9-24
■主祭神 丸高竜王、丸長竜王
■由緒  境内に設置されている「股ヶ池明神略記」によると、推古天皇の飛鳥時代、股ヶ池中央にある浮島のくぼみに、全長11mもある巨大な蛇の死体が横たわっていた。村人が恐れるので聖徳太子が埋葬したが、その後も怪異が起き、供養をして「おろち塚」を建てた。その後、江戸時代の天明年間(1780年代)に、高津に住む角田某という人物の見た夢に、蚊龍が降りて来て、「股ヶ池に祀ってほしい」と哀願するので、おろち塚の北一丁の場所に「丸高竜王、丸長竜王」として祀った。これが股ヶ池明神の起こりである。おろち塚は昭和初期まで残されていたそうだが、現在は所在不明だ。


狛犬

■奉献年 昭和十年一月建之(1935)
■作者  不明
■材質  砂岩
■設置  境内入口鳥居前

境内入口に安置されている狛犬
昭和10年奉納の狛犬(阿形・玉取り)
昭和10年奉納の狛犬(阿形・玉取り)
昭和10年奉納の狛犬(吽形・子取り)
昭和10年奉納の狛犬(吽形・子取り)


股ヶ池明神は、桃ヶ池の西側中央辺りの池に少し突出した場所にある。小高い境内の北側と南側に鳥居が建っている。

股ヶ池明神北側鳥居

狛犬があるのは、南側である。昭和10年の奉納で、石工銘はない。「合資會社 深江組 深江徳松」という名が刻まれているのは奉納者であろう。
狛犬は阿形が玉取り、吽形が子取りの一対で、吽形の尾に亀裂があるが補修されている。池を渡る強い風や雨に曝されて、ほぼ90年間神域を守り続けているのだろう。


股ヶ池明神境内

〈社殿〉

股ヶ池明神は、神仏習合の様相を色濃く残す神社である。祭神が「丸高竜王、丸長竜王」という竜神であるのは、この神社が池の上に立地することからも納得がいく。これらの神様が祀られているのは、次の写真の社殿である。

股ヶ池明神社殿

ところで、ネット上に「股ヶ池明神公認Blog」というものを見つけた。2015年7月以降は更新されていないが、この神社の関係者が運営されていたようだ。その中に、社殿の新築に関わる昭和8年の「桃ヶ池明神」の寄進記録が載っていた。当時は「股ヶ池」ではなく「桃ヶ池」だったようだ。さらにそこには、祭神の「丸高竜王、丸長竜王」より上位の神として「天領龍王大神」と記されている。現在の社殿の中には、この「天領龍王」も祀られているようだ。

昭和8年の「桃ヶ池明神」の寄進記録


〈鎮給所〉

社殿に向かって左手に「鎮給所」と呼ばれているお堂がある。このお堂は正月元旦に開放されるそうだ。内部の写真はFacebook「股ヶ池明神」で公開されている。

鎮給所内部(Facebook「股ヶ池明神」より)


〈不動明王〉


石を組んで地下に下りるように造られている。不動明王が祀られている上部から水が流れ落ちる構造になっているが、水は出ていなかった。どこかに元栓があるのだろう。

〈狸像〉

狸神「権八大明神」

なぜ「狸像」があるのか。不思議に思っていたのだが、先ほどの、昭和8年の「桃ヶ池明神」の寄進記録の中に「権七大明神」という神様が記されている。これは「狸神」なのだ。さらに「権八大明神」という狸神もいる。
股ヶ池明神には「狸信仰」があって、お堂の内外に、「権七大明神」「権八大明神」の石碑と狸像があるようだ。

〈力石と蛇石〉

神社で時々見かける「力石」がここにもあった。蛇の模様が入った石は珍しい。小さな鳥居があるので、蛇神様だろう。

〈石猿?〉

 
境内にも、社殿やお堂の中にも、そして神社周辺にも、今回気づかなかった祠や石造物があるようです。この地に残る伝説も興味深いし・・・。
桃ヶ池周辺は謎の地ですね。



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