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アジア紀行~ミャンマー・バガン⑰(最終章)~

バガン考古学博物館

考古学博物館は、オールド・バガンのゴドーパリィン寺院の南側にあった。八角形の建物だというが、正面から見ただけではわかりにくい。

bagan4日目考古学博物館1

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博物館の正面には、動物たちの上に坐して弓を引く王の像がある。これはバガン王朝第3代のピュソティー王で、彼はバガンを困らせていた大きな鳥、猪、虎、ムササビ、そして密生した野生の瓢箪を強力な弓矢で退治したという。
博物館に入館すると、まず荷物をすべてロッカーに預けることになっていた。内部は広く薄暗い。バガン時代の工芸品や石碑、彫像など、貴重なものが多数展示されている。バガン王朝の歴史と文化を知るにはとてもいい場所だと思われるが、急ぎ足で見て回ったので、印象が薄かった。展示物の解説も不十分に感じた。もちろんミャンマー語は読めないけど・・・。

bagan4日目考古学博物館3

館内で撮影したのは、この獅子像だけ。カメラでの撮影は原則禁止ということだったが、スマホでの撮影はなぜか問題ないとか。後で知りました。
そういえばミャンマー人の高校生がスマホでパチパチやっていたな。

博物館を出ると、空からポツポツ雨粒が落ちてくる。もう一度博物館に戻ろうかと迷っているうちに、すぐに止んだ。ラッキー。博物館前の道を渡ると、左側に2頭の獅子が見える。


ミマラン僧院(Mimalaung Kyaung)

bagan4日目ミマラン僧院1

獅子の像高は2mぐらいはありそうだ。後ろに回ると、お尻を突き出した姿がかわいい。日本の狛犬はお尻をつけて座るのが一般的だが、この獅子はお尻を浮かせている。

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堂内の仏像は、色白で真っ赤な唇。目だけ見ると、ちょっと怖い。手足が異常に大きい。

bagan4日目ミマラン僧院4


さよならオールド・バガン

日が少し西に傾きはじめる。
オールド・バガン地区を出てメインロードを東にバイクを走らせる。右手にいくつもの仏塔や寺院が見える。知らない寺院がまだまだたくさん残っている。
道をそれて、その一つに立ち寄る。どんな小さな仏塔にも、必ず仏像が安置されている。わずかに残る壁画に歴史が感じられる。
バガンには、大小2000とも3000とも言われる仏塔(パゴダ)や寺院があり、その一つ一つが信仰の対象になっている。
ミャンマーの人々は、仏の前で額づき、花を手向け、お経を唱える。
カメラを向ける観光者の自分は、そんな光景を目にすると、つい気が引けてしまいそうになる。

bagan4日目最後1

額から上の部分が大きい降魔印の仏坐像。

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目を開けたまま、「今からちょっとお昼寝でも」という感じの涅槃仏。
壁画もすばらしかった。

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この小さなパゴダで、30歳くらいの若者と出会った。肩のバッグには、おそらく砂絵が入っているのだろう。その若者が、仏塔の内部の壁画のことをいろいろ説明してくれる。

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壁が黒くすすけているのは、第2次大戦のときに、バガンの人々が避難生活をしていたせいだという。しかしその人々も、侵略してきた兵士に仏塔から追い出されてしまった。その兵士たちというのは日本人だった。
彼は母親から、彼の祖父は日本人に殺されたと聞いたという。
つらい話である。黙って彼の話を受け入れるしかなかった。
日本人がミャンマー(ビルマ)で何をしてきたのか。自分はあまりにも無知なまま、この国を訪れたのだ。
1975年にバガンを襲った大地震のことも、しばしば耳にする。バガンの遺跡の半分を崩壊させた大地震だったそうだ。
この旅から帰国した直後にも、ミャンマー北部でマグニチュード6.8の大きな地震があった。バガンのパゴダのうち、200近くが被害にあったと報道されていた。その中には、私が滞在中に訪れた仏塔や寺院もあった。
自然の中で人為は弱くはかないものだが、被害の最小であることを祈るばかりである。

若者は別れ際に、予想通り砂絵を買ってくれと言った。
すでに2枚の砂絵を購入済みの私にその気はなかったが、なんだか断りがたく、1枚だけ買うことにした。
バガンの旅の終わりに、印象に残る若者に出会えたと思った。


最後の寺院ダマヤンジー
(Dhammayan Gyi Temple)

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もう夕刻が近づいている。
ホテルに戻る途中、バガンの旅最後の寺院を訪れる。バガンでも最大規模と言われるダマヤンジー寺院である。2日前の夕方、シュエサンドー・パゴダの上からも遠くにこのダマヤンジー寺院が眺められた。
周囲はレンガの塀で囲まれていて、出入り口は一カ所だけである。さすが有名寺院だけあって、観光客が多い。
その威容は、まるでピラミッドのようだ。

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この寺院は、バガン朝第5代のナラトゥ王のもと建設が始められた。ナラトゥ王は、父王と兄王子を暗殺して王位を手に入れたのだが、数年後ナラトゥ王自身も何者かに暗殺されてしまう。その結果、ダマヤンジー寺院の工事は中止され、未完成のままになってしまった。
今でもこの寺院は、他の寺院や仏塔から離れたところにポツンと建っていて、地元では夜になると幽霊が出るとうわさされているそうだ。

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ダマヤンジー寺院は一辺が約80m近くある大きな寺院で、四方に入口がある。建物は単層構造だが、上部には、頂部に向かってそびえる六段のピラミッド型テラスがある。内部には二重に回廊が巡らされているが、外周の回廊のみが通行可能だった。各方位の入口部には仏陀の坐像が安置されている。

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仏像が二体並んでいる。現世仏のブッダと未来仏の弥勒(マイトレーヤ)。

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バガンの仏坐像は、ほとんどが触地印(降魔印)だが、上の写真の仏様は印相が異なっている。お顔もまったく違う容貌である。
次の写真は涅槃仏。回廊には壁画も描かれていた。

bagan4日目ダヤマンジー寺院7

bagan4日目ダヤマンジー寺院8

ダマヤンジー寺院はなにしろ巨大である。緻密な煉瓦積みの構造なので、未完成ではあるものの、度重なる地震にも耐えてきたようだ。
人々が出入りしない裏手に回って眺めると、巨大な寺院が心なしか寂しげに見えた。

bagan4日目ダヤマンジー寺院9

名残惜しいバガン遺跡をあとにして、ホテルへの帰りは、この日もレストラン「Weather Spoons」に寄る。店の人とも顔なじみになったが、それも今回が最後だ。
ミャンマーカレーとパパイヤサラダ、そしてライムジュース。7,000チャット。美味しかった。ああ、このカレーをもう一度食べたい!

bagan4日目夕食2

bagan4日目夕食1

もう空が暗くなってきた。今夜も雨が降りそうだ。
明日はバガンを発って、次の目的地インレー湖に向かう予定だ。


「アジア紀行~ミャンマー・バガン~」シリーズは今回で終了です。書き綴っていくうちに、いつの間にか17回までやって来ました。お読みくださった皆さま、ありがとうございました。次回からは「アジア紀行~ミャンマー・インレー湖~」に移る予定です。引き続きよろしくお願いします。



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