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大阪市の神社と狛犬 ⑲阿倍野区 ③安倍晴明神社~陰陽師を祀る社の狛犬~


大阪市阿倍野区の地図と神社

大阪市には、現在24の行政区があります。阿倍野区は、上町台地の南の高台に位置し、古くから大阪南部の交通の要衝として栄えてきました。天王寺区との区境にある北部には交通機関が集結し、多くの商業施設が建ち並んでいます。特に、地上300mの高さを誇る超高層複合ビル「あべのハルカス」は、天王寺・阿倍野のランドマークになっています。区名の「阿倍野」は、古代にこの地を領有していた豪族「阿倍氏」の姓からとする説が有力です。

今回は、安倍晴明神社にお参りします。阪堺電軌上町線「東天下茶屋」駅から東南へ200mほど、旧熊野街道沿いに鎮座します。安倍晴明神社は50mほど南にある阿倍王子神社の境外社です。


安倍晴明神社

■所在地 〒545-0034  大阪市阿倍野区阿倍野元町5-16
■主祭神 安倍晴明
■由緒  社伝「晴明宮御社伝書」によると、安倍晴明神社は、晴明没後の寛弘4年(1007)に花山院の命により創設されたとされている。境内には、江戸の文政年間に建設された晴明誕生の地を示す碑や、産湯の跡などがある。しかし幕末には衰退し、明治時代には小さな祠と石碑のみになってしまったという。大正10年(1921)、阿倍王子神社の末社として復興し、大正14年(1925)に現在の社殿が建てられた。

安倍晴明神社は、晴明の子孫と称する保田家が代々社家として奉仕してきたが、上記の社伝は保田家で創作された偽書であるとも言われている。安倍晴明神社は安倍野村の庄屋保田氏が個人で所持した神社で、保田氏が江戸時代に葛の葉伝説が広まった頃に創った神社だという。

神社創設の真偽はわからないが、安倍晴明生誕地に鎮座する神社として、地元の人々の尊崇が篤い神社である。

狛犬

■奉献年 不明
■作者  不明
■材質  砂岩
■設置  拝殿前

安倍晴明神社  拝殿と狛犬


安倍晴明神社の正面鳥居は、旧熊野街道に面して建っている。境内は狭く、すぐ正面に拝殿がある。拝殿前には砂岩製の浪速狛犬が安置されている。

拝殿前狛犬(阿形)
拝殿前狛犬(阿形)
拝殿前狛犬(吽形)
拝殿前狛犬(吽形)
拝殿前狛犬(阿形)
拝殿前狛犬(吽形)

拝殿前の狛犬は、基壇が新しいものに替えられているので、紀年銘などがわからなくなっている。しかし地面に置かれた最下部は元のままのようだ。この部分には、奉献者と思われる人物の名前が大きく彫られていた。「保田彦兵衛」と書かれている。

基壇最下部の人名

狛犬は、ひび割れや摩耗などの損傷はあるものの、制作当初の姿をとどめている。顔の表情などから考えると、江戸時代19世紀初頭、享和から文化年間のものと推測される。

拝殿前狛犬の表情(阿形)


安倍晴明神社境内


泰名やすな稲荷神社〉

正面の鳥居を入ったすぐ右手に泰名稲荷神社がある。「泰名やすな」というのは安倍晴明の父親である「安倍保名」のことである。保名はこの地の人だが、和泉国の信太明神にお参りしたときに、狩人に追われた狐を助けたことがあった。しかしこの時、保名は狩人に捕まって大けがを負わされてしまう。その後、葛の葉と名のる美しい女性が保名のもとに現れ、結ばれた2人の間に生まれたのが安倍晴明だった。この女性は、保名に命を救われた狐の化身だったという。



〈安倍晴明公像〉



〈葛之葉霊狐の飛来像〉



〈鎮石(孕み石)と安倍晴明誕生地の碑〉




安倍晴明は陰陽寮に属する天文博士で、近年の陰陽師ブームもあって、一躍人気を集めた人物です。NHK大河ドラマ「光る君へ」にも登場し、藤原兼家の陰謀に加担して、花山天皇を出家させる道筋をつくります。兼家の三男である粟田殿道兼は、自らも出家すると天皇をだまして、花山寺(元慶寺)に赴きます。その途中、帝の牛車は清明の家の前を通り過ぎます。

歴史物語の『大鏡』では、次のように記しています。

さて、土御門より東ざまに率て出だし参らせ給ふに、晴明が家の前を渡らせ給へば、みづからの声にて、手をおびたたしく、はたはたと打ちて、
「帝おりさせ給ふと見ゆる天変ありつるが、すでになりにけりと見ゆるかな。参りて奏せむ。車に装束疾うせよ。」
と言ふ声聞かせ給ひけむ、さりともあはれには思し召しけむかし。
「かつがつ、式神一人内裏に参れ。」
と申しければ、目には見えぬものの、戸をおしあけて、御後ろをや見参らせけむ、
「ただ今、これより過ぎさせおはしますめり。」
と答へけりとかや。
その家、土御門町口なれば、御道なりけり。


安倍晴明を祭神とする神社としては、京都市上京区の晴明の屋敷跡に鎮座する晴明神社が有名ですね。こちらは、花山天皇の出家後、藤原兼家によって擁立された一条天皇の命で創設されました。

それにしても、阿倍野の安倍晴明神社が、阿倍王子神社の境外社だったとは、知りませんでした。




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