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大阪市の神社と狛犬 ⑱生野区 ⑦清見原神社~貫禄たっぷりの浪速狛犬~


大阪市生野区の地図と神社

大阪市には、現在24の行政区があります。生野区は大阪市の東南部に位置し、北は東成区、西は天王寺区、南は阿倍野区・東住吉区・平野区、東は東大阪市と接しています。区名の「生野」は、「生野長者」の伝説にちなんで付けられています。
今回は生野区の東部、内環状線道路沿いにある清見原神社に参拝します。当社は、大阪メトロ千日前線・小路駅の南西、徒歩数分の地に鎮座します。


清見原神社

■所在地 〒544-0002 大阪市生野区小路2-24-35
■主祭神 天武天皇
■由緒  創建の詳細は不明であるが、口伝によると、天武天皇が飛鳥浄御原宮から難波宮に行幸した際に、この地で休憩したという。現在の社名はこの伝承によるものである。天武天皇の崩御後、この地に縁のあった大伴氏が天皇の御神霊をお祀りし、天武天皇宮と称したと伝えられる。
明治5年、清見原宮と改称するが、明治42年、政府の神社合祀政策に基づいて近隣の神社数社を合祀し、村名をとって小路神社と改称した。その後、昭和17年に境内拡張、社殿増改築が行われ、現在の清見原神社と改められた。

清見原神社 拝殿


狛犬1

■奉献年 天保二辛卯年九月吉日(1831) 
■作者  不明
■材質  花崗岩
■設置  拝殿前

拝殿前・天保2年奉献の浪速狛犬
拝殿前・天保2年奉献の浪速狛犬(阿形)
拝殿前・天保2年奉献の浪速狛犬(阿形)
拝殿前・天保2年奉献の浪速狛犬(吽形)
拝殿前・天保2年奉献の浪速狛犬(吽形)
拝殿前・天保2年奉献の浪速狛犬
拝殿前・天保2年奉献の浪速狛犬
拝殿前・天保2年奉献の浪速狛犬


『万葉集』を学んだ身としては、「きよみはら」と言えば、まず天武天皇の「飛鳥浄御原」を思い浮かべてしまうが、この地が天武ゆかりの地であったとは、境内の由緒記を読んで初めて知った。

拝殿前には、花崗岩製の堂々たる狛犬が安置されている。像高は約1mある。基壇がやはり1mはあるので、見上げる高さである。阿吽ともに垂れ耳で、顔面の彫りは深い。首の周囲を巻毛が取り巻く。尾は先が七つに分かれる形で立ち上がる。
台座に紀年銘があり、「天保二辛卯年 九月吉日」と読み取れる。

拝殿前狛犬紀年銘


清見原神社の主祭神は天武天皇だが、明治の神社政策によって、旧片江村の素盞嗚尊神社(祭神 素盞嗚尊)、旧中川村の松尾神社(祭神 大山咋命)、旧腹見村の木守勝手神社(祭神 天水分神・国水分神)、旧大瀬村の八劔神社(祭神 神素盞嗚尊)が合祀される。
境内には、春高稲荷社と祖霊殿があり、春高稲荷社前にも狛犬が置かれている。


狛犬2

■奉献年 不明      
■作者  不明
■材質  砂岩
■設置  春高稲荷社前

春高稲荷社と狛犬
春高稲荷社前の狛犬(阿形)
春高稲荷社前の狛犬(阿形)
春高稲荷社前の狛犬(吽形)
春高稲荷社前の狛犬(吽形)


春高稲荷社は、もとは旧片江村の素盞鳴尊神社の境内に祀られていたが、本社の合祀と共にここに遷された。狛犬もそのときに一緒に来たのだろうか。こちらは稲荷社であるから、狛犬はもとは素盞鳴尊神社の本社前に置かれていたのかもしれない。あくまで想像である。
阿吽とも立ち耳で、獰猛な印象を受ける。尾の流れ毛の処理や足先などが、明治以降の狛犬を思わせる。
台座に「文政七甲申年九月吉日」の文字が彫られているが、これは先代狛犬のものであろう。

春高稲荷社前の狛犬台座紀年銘


狛犬が代替わりするとき、先代の狛犬が坐していた台座(基壇)に新しい狛犬を安置したものを、時々見かける。狛犬に詳しい人であれば、狛犬と台座の年代差に気づくだろうが、間違う人もいるだろう。この狛犬などは、わかりにくい例だと思う。

春高大明神は稲荷神社だから、もちろん狐像がたくさん奉納されていた。




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