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斑鳩の神社巡り(中編)

前編はこちらです

学生時代に博物館学の講義を受けて、いちばん興味を持ったのは「仏教美術」でした。それまで何気なく見ていた仏像が、こんなにバラエティーに富んでいて、それぞれ独自の役割を分担し果たしているのかと思うと、俄然おもしろくなりました。

その後も、飛鳥・白鳳・天平の仏様に会いに、よく奈良に出かけました。中でも斑鳩の地は仏教美術の宝庫で、法隆寺から中宮寺、法輪寺、法起寺へと続くのどかな田舎道を、何度も歩きました。

しかし、これだけ斑鳩を訪れながら、この地の神社にお参りしたことは、一度もなかったのです。狛犬に興味を持つことがなかったら、神社巡りをすることは、きっとなかったでしょうね。今回、地図を片手に歩いてみて、斑鳩が仏教の地であると同時に、神によって守られてきた地でもあるのだと思いました。
神仏が今のように分離したのは、明治政府がとった政策が原因です。それまで一千年もの長い間、神と仏は同居して信仰されてきたのですから。

「斑鳩の神社巡り」続きの始まりです

前置きが長くなりました。5社目の三井神社(素盞嗚神社)にお参りしたあと、大坂の小島屋半兵衛の狛犬の余韻に浸りながら、参道の階段を下りると、目の前に先ほど通り過ぎてきた法輪寺の塔が見えました。

ここから道を東にたどり、法起寺の方向を目指します。法起寺も聖徳太子が建立した古い寺院で、ここにも三重塔があります。
しばらく歩くと、コスモス畑の向こうに、塔の姿が見えてきました。

次の目的地である菅原神社は、法起寺の北側にあります。団体客が大勢訪れる賑やかな法隆寺よりも、暮れゆく季節の中で忘れられたような法起寺のほうに安らぎを感じますね。
しかし今回は法起寺も外から眺めるだけで、先に進みます。

⑥菅原神社

このあたりの地名は「岡本」といいます。法起寺はかつては「岡本寺」と呼ばれたことがあり、もとは聖徳太子の岡本宮があった場所です。
菅原神社は、法起寺の北側の丘の上に鎮座していました。付近は小さな集落と畑があるばかりです。

参道の地面は掃き清められ、熊手で筋が入れられています。靴跡を残すのがためらわれました。
菅原神社はその名が示すとおり、ご祭神は菅原道真公です。入口には、天満宮の神使である神牛の像がありました。「奉献氏子安全」「明治十二年卯六月吉日」の銘があります。

割拝殿の通路の上に、「菅原神社」の神額があります。

そして本殿手前の庭には、期待通り狛犬が安置されていました。

阿形の台座には「弘化二乙巳年」、吽形の台座には「九月吉日」と彫られています。弘化2年は1845年です。ほとんど傷みのない和泉砂岩製の浪速狛犬です。首の周りのたてがみや、前後肢に彫られた走り毛が美しいです。
狛犬は自然石の上に台座をのせて安置されていました。

訪れる人もほとんどない田舎で、大切に守られている神社や狛犬と出会えるのはうれしいことですね。

さてここからは、JR法隆寺駅に戻る道をたどります。目指すはあと4社です。

⑦幸前神社

菅原神社からひたすら南に向かって歩きます。時刻は午後1時を過ぎたばかりです。日射しがあれば暖かいですが、日が陰ると、晩秋の空気の冷たさを感じます。
神社を見つけるコツは、杜を探すことです。平地にこんもりと木々が生い茂った場所があると、「神社かな?」と思います。古墳の場合もありますね。

地図で検討をつけながら歩いていると、鳥がさえずる小さな杜がありました。入口には鳥居もなく、半信半疑で中に入ると、落ち葉の散り敷いた境内に、鳥居と石灯籠、そしてここにも割拝殿がありました。割拝殿の向こうに、狛犬の姿が見えます。
社号標や神額のような神社名を示すものがまったくありませんが、ここは間違いなく幸前こうぜん神社です。

割拝殿を抜けて本殿に参拝しました。ご祭神は素盞嗚尊です。
春日造りの小さな社殿を、砂岩製の浪速狛犬が守っていました。

台座には「弘化四丁未年   五月吉日」(1847)の銘が刻まれています。菅原神社の狛犬の2年後ですね。
大きな巻き毛や流れ毛はよく似ていますが、こちらのほうがどっしり感があります。目には丸い瞳があり、吽形の閉じた口から2本の牙がのぞいています。頭上には大きめの枝角がありました。

角度を変えて見ると、表情が変わります。

⑧秋葉神社

幸前神社の参拝を終えて前の道に出ると、左前方にもこんもりとした杜が見えます。道路から参道らしきところに入ると、左手に「大神宮」と記された石灯籠が一基ありました。「寛政十一年」(1799)の刻銘があります。

小道のような短い参道を進むと、突き当たりに小社が祀られています。
この地は、中宮寺の北東鬼門に当たり、火伏せの神「秋葉大権現」を勧請して祀られたようです。

塀で囲まれた神域の入口に、一対の石造狛犬が安置されています。小さいながら存在感のある狛犬です。江戸末期でしょうか。

台座の下部が地面に埋もれ、表面も土をかぶっています。指で取り除くと、文字が現れました。

阿形の台座銘から、この狛犬が「嘉永三年」(1850)奉献であることがわかりました。
さらに吽形台座には石工銘も刻まれていました。「王子   石工   又右」まで読めます。たぶん「又右衛門」という名前でしょう。王子は、現在の斑鳩町の西に隣接する地名です。
吽形台座の別の面にも文字が見えますが、これはよくわかりませんでした。

秋葉神社を後にして、再び駅の方向に向かいます。辺りはまだ畑地ですが、少しずつ民家が増えていきます。

「斑鳩の神社巡り」。前後編の2回で紹介する予定でしたが、後編が長くなりました。残り2社は「丹波の佐吉」の狛犬がある神社です。
今回は「中編」と変更して、急遽3回に分けることにしますね。
次回もよろしくお願いします。

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