大阪市の神社と狛犬 ⑯天王寺区 ⑦河堀稲生神社~天明・安政・明治の狛犬~
大阪市天王寺区の地図と神社
大阪市には、現在24の行政区があります。天王寺区は大阪市の中南部に位置し、区域の大半は南北にのびる上町台地上にあります。区名は、聖徳太子建立の日本最古の官営寺院である四天王寺に由来します。区内には約200の社寺があるほか、名所旧跡も多く、歴史と伝統の息づく町といえます。
天王寺区には、神社が11社あります。そのうちの1社は、生野区にある弥栄神社の御旅所です。
今回参拝する河堀稲生神社は、天王寺区ではもっとも南に位置する神社です。最寄り駅のJR環状線寺田町駅から、西へ約400mほどの場所に鎮座します。こちらも四天王寺七宮の一つに数えられています。
河堀稲生神社
■所在地 〒543-0052 大阪市天王寺区大道3-7-3
■主祭神 宇賀魂大神、崇峻天皇、素盞嗚尊
■由緒 景行天皇の時代、この地に稲生の神を祀ったのが最初とされている。聖徳太子が四天王寺を建立した際に社殿が造営され、崇峻天皇を合祀して四天王寺七宮の一つになった。
『続日本紀』によると、延暦7年(788)、摂津太夫和気清麻呂が農業の振興と水害の防止を目的に、摂津国と河内国の国境に河川を築いて西方の海に流し込む大規模土木事業を提案し、工事の安全を祈願したという。この、河を掘る「河掘り」が「河堀」という地名の起源である。なお「古保礼」という表記もかつてはあったらしい。
明治40年(1907)、大阪城内清水谷にあった屋敷の鎮守の稲荷神社を合祀して、現在の社名に改まった。
狛犬1
■奉献年 安政六歳己未吉辰(1859)
■作者 新川 石工 小西屋善兵衛
■材質 花崗岩
■設置 正面鳥居前
正面の鳥居前に、安政6年(1859)の花崗岩製の狛犬(像高約1m)が安置されている。台座の文字が大きく深く彫られている。
「安政六歳 己未五月吉辰」
耳の下から顎の横にかけて巻毛が並び、頭上から背中に毛が流れている。吽形には小さな角がある。足先が大きく、からだ全体がぼってりした印象を受ける。
作者銘は分かりづらいが「新川 石工 小西屋善兵衛」だろうか。
狛犬2
■奉献年 天明七丁未九月吉日(1787)
■作者 不明
■材質 花崗岩
■設置 神輿庫前
鳥居を潜ると境内の右側に神輿庫がある。その前に天明7年(1787)の花崗岩製の狛犬が置かれている。最初からこの位置にあったとは思えないので、たぶん移動されたのだろう。口元から首にかけて大きなひびが入っているが、丁寧に修復されていた。
台座には紀年銘と取次人の名前が記されている。
「天明七丁未九月吉日」「取次油屋町/高見●氏/清兵衛」と読める。この神社には3対の狛犬があるが、この狛犬がいちばん古い。天明の9年間で、大阪府に残る狛犬は10対ほどであるから、貴重な1対だといえる。
像高は70cmほどのやや小型で、簡素で穏やかな造りになっている。
狛犬3
■奉献年 明治卅七八年(1904・1905)
■作者 不明
■材質 砂岩
■設置 櫻樹神社前
拝殿の向かって左側に、境内社が二社並んでいる。若宮八幡宮と櫻樹神社である。
櫻樹神社の前に安置されているのは、明治37~38年に奉納された狛犬。河堀稲生神社にある3対の中でいちばん新しいが、破損が激しい。
天王寺区7社目「河堀稲生神社」は以上です。
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