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大阪市の神社と狛犬 ⑯天王寺区 ①生國魂神社~今村久兵衛晩年の青銅狛犬~

大阪市天王寺区の地図と神社

今回から天王寺区に入ります。
大阪市には、現在24の行政区があります。天王寺区は大阪市の中南部に位置し、区域の大半は南北にのびる上町台地上にあります。区名は、聖徳太子建立の日本最古の官営寺院である四天王寺に由来します。区内には約200の社寺があるほか、名所旧跡も多く、歴史と伝統の息づく町といえます。

天王寺区には、神社が11社あります。そのうちの1社は、生野区にある弥栄神社の御旅所です。
天王寺区の第一社目は、|生國魂《いくくにたま》神社に参拝します。生國魂神社は、通称「いくたまさん」と親しまれ、「いくたま(生玉)神社」と呼ばれることもあります。近隣の地名は「生玉町」です。また、生國魂神社には「難波大社なにわのおおやしろ」という別称もあります。
最寄り駅は大阪メトロ谷町線・千日前線「谷町九丁目駅」で、生國魂神社はこの駅から西へ300mほどの地に鎮座します。


生國魂いくくにたま神社

■所在地 〒543-0071 大阪市天王寺区生玉町13-9
■主祭神 生島神いくしまのかみ足島神たるしまのかみ
■由緒  社伝によれば、神武天皇が九州からの東征の旅の終着地点である難波津(後の石山碕=現在の大阪城付近)に着岸された際、国土の平安を願って、日本列島のそのものの御神霊である生島大神・足島大神をお祀りしたのが生國魂神社の創祀という。
明応5年(1496)、本願寺第8世の蓮如がこの地に石山本願寺を創建するが、天正8年(1580)の石山合戦で隣接する生國魂神社ともども焼失してしまった。天正11年(1583)、豊臣秀吉が石山本願寺の跡地に大坂城を築城する際に、生國魂神社の社地は現在の地に移転され、移転の2年後に本殿が造営された。
現在の本殿は戦後、昭和31年(1956)に建て替えられたコンクリート造銅板葺きだが、桃山時代の遺構を伝えている。拝殿や神饌所、儀式殿なども同時期に再建された。


狛犬

■奉献年 昭和三十六年一月  
■作者  鋳狛製作 今村久兵衛 
■材質  青銅
■設置  正面鳥居左右

台座に「昭和三十六年一月 鋳狛製作 今村久兵衛」と銘記されている。今村久兵衛は大阪高津の鋳物師で、昭和6年には大阪城天守閣の鯱一対を寄付している。同じ天王寺区の五條宮にも、今村久兵衛の青銅狛犬がある。昭和の鋳物師として有名だったようで、兵庫県神戸市中央区の小野八幡神社(昭和25年)や東京都港区の愛宕神社(昭和8年)などでも、今村久兵衛の青銅狛犬を見ることができる。
狛犬以外にも鋳造品が各地に残っているが、それらの製作年を考えると、生國魂神社の青銅狛犬は、今村久兵衛晩年の作だろう。顔の表情は荒々しく、吽形の頭上には大きな角がある。大きな目をむき、歯は尖っている。鬣にも変化をつけ動きがある。全体的に粗い(荒い)雰囲気だが、神社の入口を守護するにふさわしい風格を感じさせる。


境内社など

まずは、生國魂神社拝殿。こちらには狛犬はいない。

生國魂神社の境内には、たくさんの摂社・末社がある。

本社の北側(向かって右手)には、天満宮・住吉社・皇大神宮が並ぶ。さらに生垣を挟んで、大阪祐徳稲荷神社・源九郎稲荷神社・鴫野神社が鎮座する。
北西側には、城方向きたむき八幡宮・ふいご神社・家造祖やづくりみおや神社・浄瑠璃神社という、珍しい名前の神社が並んでいる。

鞴神社
家造祖神社
浄瑠璃神社

生國魂神社は、近松門左衛門の浄瑠璃「生玉心中」や「曽根崎心中」の舞台にもなっている。井原西鶴の「生玉万句」もこの神社で興行されたもので、境内の生玉の杜には西鶴の像がある。
大阪が生んだ作家・織田作之助の像もあった。

生玉の杜の織田作之助像

最後に、境内入口の大きな明神鳥居は、昭和32年11月に、サントリーの株式会社壽屋の社長「鳥井信治郎」氏が寄進したものでした。

鳥井さんが寄進した鳥居

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