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大阪市の神社と狛犬 ⑱生野区 ⑧巽神社~一の鳥居前から神前に移された狛犬~


大阪市生野区の地図と神社

大阪市には、現在24の行政区があります。生野区は大阪市の東南部に位置し、北は東成区、西は天王寺区、南は阿倍野区・東住吉区・平野区、東は東大阪市と接しています。区名の「生野」は、「生野長者」の伝説にちなんで付けられています。
今回は生野区の8社目、最後の神社となる巽神社です。大阪メトロ千日前線・南巽駅の南東、約150mほどの地に鎮座します。前回の清見原神社からは2kmほど南になります。


巽神社

■所在地 〒544-0015 大阪市生野区巽南3-17-19
■主祭神 応神天皇
■由緒  当社の創建については不明であるが、古くは八幡神社という社名だった。明治22年(1889)の町村制施行にともない、「大地村」「伊賀ヶ村」「西足代村」「矢柄村」「四条村」の5つの村が合併し、大阪城から見て「巽(南東)」の方角に位置していることから、「巽村」と名づけられた。明治末の神社合祀令を受けて、明治40年(1907)に同じ村内の横野神社・伊賀ヶ天神杜・天照皇大神社・熊野神社・小路の天神杜の五社を合祀し、村名を取って巽神社と改名された。


狛犬

■奉献年 不明
■作者  不明
■材質  花崗岩
■設置  拝殿前

巽神社拝殿
拝殿前狛犬(阿形)
拝殿前狛犬(阿形)
拝殿前狛犬(阿形)
拝殿前狛犬(吽形)
拝殿前狛犬(吽形)
拝殿前狛犬(吽形)

拝殿は昭和50年建造で、拝殿前に花崗岩製の狛犬が置かれている。台座を丁寧に見たが、奉献年などは刻まれていないので、狛犬本体から想像するしかない。後方になびくような耳の形、阿形の口元の三角形の舌、丸い前脚の先、尾の流れ毛がからだの方になびく意匠などは、大正から昭和にかけて造られた大阪の狛犬の特徴である。

『狛犬の研究ー大阪府の狛犬ー』(奈良文化財同好会)には、当社の江戸時代の狛犬3対が報告されているが、見当たらない。社務所の方にお尋ねしたがご存じなく、「合祀百周年・御造営三十周年記念」の『巽神社誌』を貸してくださった。


この『巽神社誌』に昭和9年1月に記載した狛犬の記録があった。


現在の拝殿前の狛犬が、「年代不詳」の狛犬か「明治三十八年五月吉日」奉納の狛犬かはわからない。

別のページに、「大正時代初年の巽神社」という説明がある1枚の写真が掲載されていた。

『巽神社誌』掲載の「大正時代初年の巽神社」の写真

この写真の鳥居と燈籠は、巽神社から100mほど西方の、内環状線道路を挟んだところに今も残っている。かつてはこの一の鳥居から参道が続いていたのだが、町の開発と道路建設によって、神社と分断されてしまったのだ。

現在の一の鳥居と燈籠(いずれも弘化2年)

この2枚の写真を見比べると、かつては鳥居の前に石造狛犬が安置されていたことがわかる。そしてこの狛犬こそ、現在の拝殿前の狛犬と思われる。

左:大正時代初年の巽神社鳥居前狛犬 右:現在の拝殿前狛犬

『巽神社誌』掲載の写真では、一対の狛犬は「奉」「納」と刻まれた台座(基壇)に坐しているが、現在の拝殿前狛犬の台座(基壇)には何も書かれていない。これは、移動したときに新しいものに替えたのだろうか。もとの台座(基壇)には紀年銘があったかもしれない。そこには「明治三十八年五月吉日」と記されていたのだろうか。
拝殿前の狛犬の成立を明治末期までさかのぼるのは、その姿形からするとややむずかしいと思うが、そこは謎のままである。


巽神社遥拝所

巽神社から西に700mほど離れたところに巽神社遥拝所がある。「遥拝所」と書かれた石碑の横に「天神宮𦾔跡」の石碑もある。この付近は、巽神社に合祀された四条の天神社があったところだ。この遥拝所の小さな境内に、一対の狛犬が安置されいる。

巽神社遥拝所・天神宮𦾔跡
遥拝所内の狛犬

中には入ることが出来ないので詳しいことは分からないが、比較的新しい狛犬である。しかし台座はもっと古いものに見える。先代のものだろう。



今回で「大阪市の神社と狛犬  ⑱生野区」を終わります。次回からは阿倍野区に入ります。

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