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11月の俳句

数字の1

今日は12月1日。いよいよ今年も最後の月になりました。12月は陰暦では「師走」。一年が極まる月なので「極月」ともいいます。
今日は朝一番で歯医者の日でした。月に一度、メンテナンスのために通っています。椅子に横たわりながら、先生の「今年ももう終わりに近づきましたね」という言葉を聞きながら、「そうだ、11月の俳句!」と思い出したのです。
治療を終えて次回の予約をとります。1月11日。そして本日の治療費はというと、1110円。何と、偶然に「1」が並びました。数字まで「11月の俳句」の投稿を急かしているようです。
そして帰宅して、いまパソコンに向かっています。

霜月

陰暦11月は「霜月」と呼ばれていますね。「霜降り月」というのが語源だそうです。陰暦では10月~12月が冬ですから「仲冬」になります。しかし、実際の季節でいうならば、11月は紅葉を楽しむ秋ですね。暦では11月7日が「立冬」になり、俳句の世界と現実の季節とのギャップを感じます。

霜月や若紫は不在なり

『紫式部日記』の11月1日の記事は、『源氏物語』の成立を考える上で重要です。紫式部が仕える中宮彰子に待望の男子が生まれ、この日、誕生後五十日目の祝儀「五十日いかの祝い」が盛大に行われました。

御五十日は霜月のついたちの日。例の人々のしたててのぼりつどひたる御前の有様、絵にかきたる物合せの所にぞ、いとよう似てはべりし。

若宮誕生五十日目の祝宴が行われる11月1日。女房たちは、美しく身繕いして中宮様の御前に参集します。その様子は絵に描いた物合せの場面そのものです。
身分の高い公卿をはじめ、大勢の男たちもお祝いに参上します。
宴がすすみ、酒の酔いがまわると、男たちは無作法な行動を始めます。

左衛門の督、「あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ。」と、うかがひたまふ。源氏に似るべき人も見えたまはぬに、かの上はまいていかでものしたまはむと、聞きゐたり。

左衛門の督(藤原公任)が、「恐れ入りますが、このあたりに若紫様はおられないでしょうか」などと言って、御几帳の中をうかがうので、紫式部は、「光源氏らしき人がおられないのに、あの紫上様がおられるわけがありません」と無視します。
藤原公任のからかいを、さらりとかわしてしまう場面ですね。
内容はともかくとして、この一節によって、「御五十日の祝」が行われた寛弘5年(1008)に、『源氏物語』の「若紫」の巻が存在したことがわかります。
なお、このことから、2012年には、11月1日が「古典の日」と制定されました。


同窓会

11月の最初の土曜日、母校の120周年記念祝賀会がありました。これに合わせて、学年の同窓会を開催しました。半年ほど前から準備を始めて、直前の2ヶ月ほどは、けっこうバタバタしましたが、懐かしい旧友との出会いはうれしいものですね。

旧友の老いや我が老い冬はじめ

それにしても、みんなそれなりに年をとったものですね。あっ、自分もか!


月食

11月8日は皆既月食でした。おまけに天王星食も重なるという、珍しい現象を見ることができました。月食の月は、ちょっと不気味な赤黒い色をしていて、ブラッドムーンと呼ばれているそうです。波長の長い赤い光が月に投影されて、このように見えるとか。

書を置きて見る月食の赤きかな

友人の杉本敬信氏撮影


斑鳩の里

月の中頃、秋深い斑鳩の里を歩きました。たくさんの神社を巡り参拝しましたが、神社には常緑樹が多く、カシやクヌギなどの団栗がいっぱいありました。地面に敷かれた団栗を見ていると、時折頭上からも落ちてきます。

団栗の屋根たたきたる社かな

斑鳩神社

斑鳩の地は聖徳太子ゆかりの地でもあります。法隆寺、法輪寺、法起寺などの古いお寺を巡るのもいいですね。

斑鳩や塔の先から日の暮れぬ

斑鳩といえば、正岡子規の「柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺」という句が有名ですね。奈良は、御所柿をはじめ、柿の産地です。美味しそうな柿がいっぱいなっていました。もう収穫が終わった柿畑もありました。

柿一枝地に届きたる夕べかな


仕事の行き帰り

週にわずか2日の仕事ですが、これが一週間のけじめをつけてくれます。早朝に家を出て、電車の駅に向かいます。川沿いにある桜紅葉が歩道に散っているのを、お年寄りが腰をかがめて拾っています。朝日がその背中を照らしていました。

落ち葉拾ふ老婆の背なの温かき

一日の仕事が終わって帰途につき、電車の駅を出るとフッと力が緩みます。
夕日が西の空に傾くころ、野良猫が一日の最後の日の光を浴びていました。

黒猫ののたり横たふ夕日かな

落ち葉

京都国立博物館で「茶の湯」展を観たあと、敷地内にある東の庭に行きました。この季節は、自然と紅葉や黄葉に目がいきますね。はらはらと散る落葉や、地面に降り敷く落ち葉も、美しい綾をつくります。

銀杏落葉青き空より舞ひおりぬ

銀杏の木が見事な黄金色に変身しています。風に乗って、木の葉が蝶のように空に舞います。
ふと与謝野晶子の歌を思い出しました。

金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に

うまいですね~。「金色のちひさき鳥」という表現に惹かれます。

銀杏の葉が散り敷いた地面も、光と影も、すべて造化の美ですね。

11月19日は小林一茶の忌日、「一茶忌」でした。

音もなく落葉降りけり一茶の忌

我が家の狭い庭には、3本の木が植えてあります。ハナモモとヒメリンゴとネグンドカエデです。ハナモモとヒメリンゴはたくさんの実がなりますが、残念ながら食べられません。いずれも落葉樹で、この季節は庭や通路に落葉がいっぱい散ります。垣根を越えて枝を伸ばしたヒメリンゴの小さな赤い実も通路に落ちます。

ときどき、通路の落葉と落ちたヒメリンゴの実を掃除します。これがすぐに腰に来るので、けっこうつらいです。

小鳥来てついばめ赤き姫りんご

甘くないと知っているのでしょうか。あまり鳥もやって来ません。

本当の冬

暦の上ではとっくに冬に入っていましたが、11月も末になって、やっと本当の冬が顔を見せ始めました。
朝の通勤時の空気が冷たいのです。駅に向かって歩きながら、頬に冷気を感じます。そろそろコートの出番かな、と思わせられます。といっても、昼間はまだ暖かいのですが。

朝寒や半袖の子の腕まぶし

コートの出番なんて考えていた私の前を、二人の中学生らしき女の子が歩いていました。一人の子はなんと半袖です。白い健康的な腕が輝いて見えます。これが若いということなんでしょうね。ちょっと姿勢を正して二人を追い越しました。

帰り道、誰もいないと背中が丸くなりそうです。道の辺の草を見ると、やはり背中が丸くなって先が地面に届いています。まだ緑色がわずかに残っていますが、やがて枯れてしまうのでしょう。

道の辺の草は枯れたり吾はもや

「吾はもや」の「もや」には、詠嘆と疑問の気持ちをこめました。老いが迫ってくるのは生理的なことですから、どうしようもありません。しかし一方でそれに抵抗している自分もいます。本当に若ければ「抵抗」する必要などないわけですから、「老いを自覚しながら若く生きる」ということでしょうか。
昨日は小学生の孫と恒例になった「夜のウォーキング」で、公園の滑り台を滑りました。先日はブランコも漕ぎました。

まだまだ楽しめることはいっぱいありそうですね。





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