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大阪市の神社と狛犬 ⑱生野区 ⑥生野八坂神社~風化した小島屋半兵衛の狛犬~

大阪市生野区の地図と神社

大阪市には、現在24の行政区があります。生野区は大阪市の東南部に位置し、北は東成区、西は天王寺区、南は阿倍野区・東住吉区・平野区、東は東大阪市と接しています。区名の「生野」は、「生野長者」の伝説にちなんで付けられています。
今回は生野八坂神社に参拝します。JR大和路線・東部市場前駅からは北へ、JR大阪環状線・寺田町駅からは生野商店街の通りを東へ、どちらも徒歩で20分弱のところに鎮座します。


生野八坂神社

■所在地 〒544-0025 大阪市生野区生野東4-7-11
■主祭神 素盞嗚尊
■由緒  神社の創祀には諸説あり、詳しい由緒は不明であるが、古くから東成郡林寺村(旧地名)の氏神として崇敬を受けてきた。明治41年(1908)に天王寺区の河堀稲生こぼれいなり神社に合祀されて、境内地は河堀稲生神社御旅所となったが、氏子有志の努力で復興した。昭和30年(1955)に御神霊を還御し、生野八坂神社として今日に至っている。地元では「生野の祇園様」として知られている。

生野八坂神社境内の狛犬2対


狛犬1

■奉献年 天保十五年 甲辰三月吉日(1844) 
■作者  大坂西横堀 石工 小島屋半兵衛
■材質  砂岩
■設置  境内中央注連柱前

注連柱の間から拝殿をのぞむ
天保15年奉献の浪速狛犬(阿形)
天保15年奉献の浪速狛犬(阿形)
天保15年奉献の浪速狛犬(阿形)
天保15年奉献の浪速狛犬(吽形)
天保15年奉献の浪速狛犬(吽形)


生野八坂神社は、生野商店街の東端に鎮座する。正面の階段をのぼり、まだ新しい鳥居を潜ると、正面に拝殿が見える。境内の中央に注連柱があり、その手前にかなり風化した狛犬が置かれている。
そばに寄って観察すると、剥離やひび割れが激しく、吽形は顔の表情がまったくわからないほど風化が進んでいて痛ましい。それでも全体の雰囲気から、江戸時代の浪速狛犬であることは明らかである。
狛犬本体は砂岩製だが、台座は花崗岩なので摩耗は少ない。参拝者側正面には「奉獻」の文字。内側に「當村 若中」とある。

天保15年奉献の浪速狛犬

台座の紀年銘と石工銘も読み取れる。
 天保十五年 甲辰三月吉日 
 大坂西横堀 石工 小島屋半兵衛

天保15年奉献の浪速狛犬 紀年銘と石工銘

作者の小島屋半兵衛は、大阪と奈良に多数の狛犬を残している石工だ。ほとんどの狛犬台座に「大坂西横堀」と彫っている。天保年間を中心に、19世紀前半の半世紀近くを活躍した大坂を代表する人物である。


狛犬2

■奉献年 平成九年五月吉祥日(1997) 
■作者  不明
■材質  花崗岩
■設置  拝殿前

拝殿と狛犬
拝殿前狛犬(阿形)
拝殿前狛犬(阿形)
拝殿前狛犬(吽形)
拝殿前狛犬(吽形)


拝殿前に安置されている石造狛犬は、滋賀県の大宝神社にある勇壮な木造狛犬をモデルにしたもので、「大宝神社型」と呼ばれている。昭和10年代の戦意昂揚の気風の中で量産されはじめた狛犬である。
この狛犬は台座に「平成九年五月吉祥日」と記されている。まだ新しいものだ。



生野八坂神社の境内には、大楠稲荷神社、三寶大荒神社、歓喜殿があり、御神木の大クスノキは大阪市の保存樹に指定されています。

https://osaka-shotengai-info.comより

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