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出会いの家

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「出会いの家」というと、なにかロマンチックな想像をするかもしれない。
見知らぬ男女が出会い、そして恋が芽生えて・・・。
というようなシチュエーションとは正反対なのが、この「出会いの家」である。

大阪市西成区の通称「釜ヶ崎」に、この「出会いの家」はある。
付近はいわゆる「ドヤ街」で、すぐ南側には、高い塀でものものしく囲まれた西成警察署の建物が、周囲のどの建物よりも高くそびえている。

「出会いの家」は、この警察署と道一つ隔てた狭い路地にひっそりと建っている。

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ぼくの家族と釜ヶ崎との関係は、およそ40年も前から細々と続いている。
きっかけが何だったのかは、今はもう忘れてしまったが、路上生活者の凍死が新聞に載っていて頃だった。
まだ小さかった子どもを連れて、炊き出しの手伝いをしたり、夜回りのグループに参加して、路上で眠る人に声をかけて、毛布や弁当を差し入れたりした。

「出会いの家」の代表は、カトリック教の神父さんで、渡部さんという。
ここでは野宿者を救済するために、無料で宿泊場所と食事の提供をし、さらに生活保護や医療の相談にのっている。家の前には自由に読める貸本コーナーもある。今日もぼくは30冊ほどの本を持っていった。衣服を持参することもある。

今から30年ほど前のことだが、この「出会いの家」で飼われていたネコが子どもを産んで、子ネコのもらい手を探しているというので、正月明けに見に行ったことがあった。
行ってみると、かわいいシャムで、子ネコとはいうものの、もうかなり大きくなっていた。数匹の中から、一匹のメスネコをもらった。

メイ

「メイ」と名付けて、家で飼い始めてしばらくすると、このネコが太り始めた。エサを与えすぎたのかと不思議に思っていたら、なんとお腹が大きかったのだ。
雛祭りの頃、メイは4匹の子ネコを産んだ。狭い家があっという間に5匹のネコの家になってしまった。子ネコたちのかわいさは言い尽くせないほどだったが、その家でそのまま一緒に暮らすには無理があったので、一匹また一匹と新しい飼い主のところにもらわれていった。最後にやんちゃなオスが一匹手元に残ったが、愛着が強くなって手放せなくなった。この子は「キキ」といった。名前はどちらも娘がつけたものだ。

「メイ」と「キキ」の話はまだ始まったばかりだが、今はもう一度「出会いの家」に戻ろう。

今日「出会いの家」の渡部さんに会いに行ったのは、大阪入管から仮放免中のイラン人男性の住むところについて相談するためだった。渡部さんは「出会いの家」以外にも、いくつかのシェルターをご存じだったが、コロナ禍の影響もあって、仕事もお金もない人が増え、どのシェルターにも空きがなかった。それでも格安の住居を求めて、いくつかの不動産屋を回ってくださった。

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釜ヶ崎には年配の男性が多い。車椅子の人も2人見かけた。物価は安いが、生活困窮者があふれているのが現実だ。写真の男性は50円の缶コーヒーを大事そうに飲み、缶を捨てて立ち去っていった。
「出会いの家」の前では一人の青年が貸本コーナーをのぞきこみ、読み古した一冊を選んで持っていった。

いろんな事情で、いろんな人がこの町で暮らしている。そして渡部さんのような善意の人々がそれを支えている。



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