見出し画像

大阪市の神社と狛犬 ❿城東区⑤八劔神社~狛犬3兄弟×2~

大阪市城東区の地図と神社

大阪市には、現在24の行政区があります。城東区は、その名前が示すように大阪城の東に位置し、東西に寝屋川と第2寝屋川が流れ、南北に城北川や平野川が通じるなど、河川が多いのが特徴です。区内には住宅地が多く、人口密度は大阪24行政区の中の1位です。

城東区には神社が9社あります。神社庁に登録された8社と、天王田の八坂神社です。中浜の東本稲荷神社は小社で狛犬もいないので、このnoteではそれ以外の8社について紹介したいと思います。
今回は八劔やつるぎ神社を訪れます。鎮座地は、JR学研都市線・おおさか東線・大阪メトロ今里筋線各「鴫野」駅から約500mほどの町中です。

八劔神社

■所在地 〒536-0013 大阪市城東区鴫野東3-31-8
■主祭神  八劔大明神やつるぎだいみょうじん(中御座)
      武速須佐雄大神たけはやすさのおのおおかみ(北御座)
      罔象女大神みづはのめのおおかみ(南御座)
■由緒  当社の由来については、「八劔神社の神社案内」に次のように記されている。

応永の始め、鴫野村の住民某がある夜夢を見た。その夢枕に一人の老翁が現れ、「吾はこれ熱田の神なり。跡をこの地に垂れんと欲す。明日汝等出でて吾を淀川の河辺に迎うべし」 と告げたので、翌日村人十数人を呼んでことの次第を語ったところ、自分も同じ夢を見たと云う者が、十人余に及んだ。
そこで一同は各々衣服を改めて河辺に出迎えると、果たして一ぴきの小蛇が河中に現れ、まっすぐこちらに向って来て、 やがて岸に上がった。その様の悠々泰然たるを見て、村人は畏敬に打たれ、一同相従って行くと、小蛇は川を越え堤を経て鴫野村に入った。そして、小蛇が留まった所を見て、村人たちはそこに小さな祠を建ててこれを祀った。時に応永3年(1396)9月22日のことである。

境内見取り図(八劔神社・神社案内より)
境内に置かれている3対の石造狛犬
阿形3兄弟
吽形3兄弟

境内の一角に3対の石造狛犬が置かれている。元はどこに安置されていたものかわからない。現在の社殿は平成12年に新築整備されたものなので、それ以前は拝殿前などに置かれていたのだろう。また、大正4年には天王田村の氏神八坂神社と永田村の氏神水神社を合祀しているので、その時にもたらされた狛犬もあるかもしれない。
手前の狛犬から順に見ていこう。

狛犬1

■奉献年 天保七申年三月吉日(1836) 
■石工  不明
■材質  砂岩
■設置  境内

手前の狛犬(阿形)
手前の狛犬(吽形)

「奉獻」「若中」と彫られた台座に蹲踞する。奉献年は「天保七申年三月吉日」(1836)。損傷が激しく、特に阿形の頭部は、上の部分がすっぱりと欠けている。脚部も補修の跡がはっきりとしている。像高は70cmほどで、3対の中ではいちばん小振りだ。阿吽でたてがみの流れ方などが異なり、正面側に向ける顔の角度も、阿形のほうが大きい。
阿形に比べて、吽形の顔の表情ははっきりと分かる。眉尻を高く上げ、閉じた口の口角にも特徴がある。これは「誇張型」と呼ばれるもので、幕末に多く見られる表現だ。天保期の誇張型は数が少ない。お隣の狛犬が、まさに誇張型である。
しかし損傷した阿形の顔からは、誇張型の表情が読み取れない。天保期の普通の浪速狛犬のようにも見える。この阿吽が正しい一対なのか疑問が残るところである。


狛犬2

■奉献年 不明 
■石工  不明
■材質  砂岩
■設置  境内

真ん中の狛犬(阿形)
真ん中の狛犬(吽形)

3対の中央に置かれた一対である。この狛犬も補修の跡があるが、「誇張型」の特徴をよく表している。つり上がった眉の先はねじれ、その下の目もつり上がっている。口角も大きく切れ込み、全体的に威嚇的な表情になっている。首横の巻き毛や、後方に流れる毛並みは、きれいに毛筋が入っていて美しい。紀年銘はないが、幕末の安政から文久ごろの建立だろうか。


狛犬3

■奉献年 文化元甲子九月吉日(1804) 
■石工  不明
■材質  砂岩
■設置  境内

いちばん奥の狛犬(阿形)
いちばん奥の狛犬(吽形)

いちばん奥にある狛犬。台座に「文化元甲子九月吉日」(1804)の紀年銘がある浪速狛犬である。19世紀初頭、享和から文化年間にかけて登場する浪速狛犬の典型を見る気がする。阿吽とも、上の歯並びがきれいに残っている。阿形は口角を上げているが、吽形の口角はやや下がり気味。吽形の頭上には角がある。
3対の中では最も古く、こちらも損傷が進みつつある。石材にも命がある。狛犬の保存は難しい。


狛犬4

■奉献年 不明 
■石工  不明
■材質  石
■設置  末社合祭殿(幸神社・戎神社・辨天社)内

末社合祭殿(幸神社・戎神社・辨天社)
末社合祭殿(幸神社・戎神社・辨天社)内 石造狛犬

幸神社・戎神社・辨天社の三末社を合祭した社殿に、小さな石造狛犬が安置されていた。いつの奉納かはわからないが、比較的新しいと思われる。阿形の口元の三角形の舌は、昭和初期ごろからよく見られる表現だ。この狛犬も昭和の奉納だろうか。


とんど祭 お火焚き儀式

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?