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斑鳩の神社巡り(後編)

前回までの「斑鳩の神社巡り」はこちらです

⑨阿波神社

幸前神社と秋葉神社を後にして、南に進みます。途中に中宮寺跡史跡公園や上宮遺跡公園がありました。時間があれば、ゆっくり訪れたいところですが、今回は通過して次の神社に向かいました。
住宅街の一画にお社が見えました。阿波神社です。

簡素な木造鳥居を潜ると、すぐ右側に朱玉垣を巡らせた社殿があります。

社殿の前には一対の石燈籠と石造狛犬が安置されています。朱色に塗られた鳥居に掲げられた神額には「須佐男社」と書かれているようですが、ほとんど読めません。阿波神社の御祭神は、素盞鳴命です。

さて、この狛犬さん。作者は、知る人ぞ知る「丹波の佐吉」という名人石工です。
ここまでの8社はすべて初めて参拝する神社でしたが、この阿波神社と次の興留の素盞嗚神社の2社は、昨年の春、よくご存じの方の案内で訪れたことがありました。どちらの神社にも「丹波の佐吉」の狛犬があります。大きな写真で見てみましょう。

この狛犬と向き合っていると、ついその目に見入ってしまいます。眉と頬との狭間の奥から、眼光鋭くこちらを見つめる目です。
佐吉の狛犬のいちばんの特徴は、この目にあります。たてがみや尻尾にも独特のうねりのような激しさを感じさせる作品も多いのですが、この阿波神社の佐吉狛犬を見ると、阿形のたてがみの一部が、首の下で背中側から前に靡くように伸びている以外は、ごく普通の浪速狛犬と変わりがないように思えます。
佐吉の狛犬としては、それほど力が入っていないということなんでしょうか。劣っているという訳ではなく、淡々と造られたような気がします。

佐吉の狛犬であることを示す一つの特徴が、台座に刻された石工銘です。

「作師   照信」とあり、その横に花押が彫られています。佐吉は自らを「村上照信」と名乗ったと言われています。

さて、ここで「丹波の佐吉」について、少し紹介しておきます。かつての丹波国新井村(現在の兵庫県丹波市柏原かいばら町)の『新井村史』に、次のような記録が残っています。

「但馬国竹田の貧家で生れ、幼にして父母を失い孤となる。たまたま本郡大新屋村の石工難波金兵衛之を憐み、且つ己れに子なきを以て養子として連れ帰る。 時に文政三年佐吉僅かに五歳であった。後に金兵衛(二代金兵衛)を生むに及んで、佐吉出で、村上氏を名のり、石工を以って業とした。長ずるに及んで、大和・伏見・大阪の各地で業を習う。天才的の技能益々熟し、長ずるに及んで殆ど天下佐吉に比肩する者なしと称せられた。」

佐吉は、文化13年(1816)に但馬国竹田で生まれました。竹田は、最近「天空の城」で有名になった竹田城のある兵庫県朝来あさご市の地名です。幼少期に孤児となり、石工金兵衛に拾われて、彼の運命が決まった訳ですね。しかし佐吉は家族をもつこともなく、旅の石工として孤独に生きました。最期は誰に看取られることなく、奈良の山中で病死したといわれています。

丹波の佐吉の狛犬は、紀年銘が残るものが多いのですが、この狛犬は不明です。奉献年月が彫られた跡はありますが、読み取れません。さらに、この紀年銘が台座の正面側にあることも不思議です。

最後に、阿波神社の佐吉狛犬を尻尾の側から眺めてみます。

さっき、ちょっと手抜きみたいなことを書いてしまいましたが、左右に流れるたてがみの様子や、二段構えの尻尾のデザインなどを見ると、やはりうまいですね。

⑩素盞嗚神社

いよいよ最後です。またまた素盞嗚神社です。この日回った10社のうち、三井神社(素盞嗚神社)を含めて3社の社名が素盞嗚神社。さらに社名は違っても、素盞嗚尊を祭神とする神社が3社ありました。10社のうちの6社の祭神が素盞嗚尊でした。人気ナンバーワンですね。
最後の素盞嗚神社は、阿波神社から西に5分ほどの、興留おきどめという集落に鎮座していました。

この神社の本殿は一間社春日造の桧皮葺で、室町時代後期のものです。県の重要文化財に指定されています。

瑞垣内の本殿前に、一対の石造狛犬が見えます。

鋭く前方を睨む様子、たてがみや尻尾の毛並みなど、丹波の佐吉の狛犬に間違いありません。
正面に回ってみます。瑞垣越しに狛犬の斜め後方の姿が見えます。

先の阿波神社のものよりも大きく、彫りも緻密です。今回はすぐそばで見ることはできませんでしたが、昨年訪れたときは、ご案内の方がいたので、瑞垣内で参拝することができました。その時の写真を載せておきます。

阿形は、阿波神社の狛犬と同じようにたてがみが前に流れています。逆に耳は捻れるように後方に靡きます。どっしりと構えて坐していますが、阿形の上半身は動的です。
それに対して、吽形には静かな迫力を感じます。波打ちながら閉じられた口は強い意志の表れです。眉と頬の狭間の奥には、すべてを見通すような目が潜んでいます。
後方から眺めると、どちらも立派な尻尾ですね。後頭部の毛並みの違いもよくわかります。

狛犬が坐す第一台座には、やはり「作師   照信」とあり、その横に花押が彫られています。
佐吉狛犬の特徴の一つに、台座(基壇)に彫られた「奉献」の文字があります。素盞嗚神社の狛犬台座には、阿形に「奉」、吽形に「献」の文字があり、どちらも深々と彫られています。

ところで、この狛犬の制作年代ですが、台座に次のような紀年銘がありました。「奉献」の文字と比べると、線が細いですね。

「安政四年 丁巳  九月日」(1857)の奉献です。「安政」の「政」の文字の偏と旁が分けて書かれています。「巳」が「己」になっています。
佐吉の誕生が文化13年(1816)ですから、40歳を過ぎた頃の作ということになります。
台座には「龍田 石工九兵衛」という文字もありました。台座だけ、地元の石工が制作したということでしょうか。

今回は外から眺めただけでしたが、昔の知り合いに会ったような懐かしさがありました。
興留の素盞嗚神社からJR法隆寺駅までは、歩いて10分ほどです。
朝の8時半頃に法隆寺駅を出発し、斑鳩の神社をぐるっと巡って、再び法隆寺駅にたどり着いたのが15時半。約7時間の神社巡りになりました。
晩秋の斑鳩。いい一日になりました。

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