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大阪市の神社と狛犬 ⑲阿倍野区 ①正圓寺~兼好ゆかりの寺院の構え型狛犬~


大阪市阿倍野区の地図と神社



大阪市には、現在24の行政区があります。阿倍野区は、上町台地の南の高台に位置し、古くから大阪南部の交通の要衝として栄えてきました。天王寺区との区境にある北部には交通機関が集結し、多くの商業施設が建ち並んでいます。特に、地上300mの高さを誇る超高層複合ビル「あべのハルカス」は、天王寺・阿倍野のランドマークになっています。区名の「阿倍野」は、古代にこの地を領有していた豪族「阿倍氏」の姓からとする説が有力です。

阿倍野区では、まず最初に正圓しょうえんに参拝します。阪堺電軌阪堺線「北天下茶屋駅」から東へ徒歩6分ほど、大阪メトロ堺筋線・南海高野線「天下茶屋駅」からも徒歩で10分ほどの高台にあります。この地は聖天山と呼ばれ、「大阪五低山」の一つです。通称「天下茶屋の聖天さん」として人々に親しまれています。
「聖天さん」とは仏教の守護神である天部の神様「歓喜天」の別名で、ガネーシャと同じ起源を持ちます。


正圓寺

■所在地 〒545-0043 大阪市阿倍野区松虫通3-2-32
■本尊  真言宗 大聖歓喜双身天王
■由緒  天慶2年(939)、阿倍寺の一坊として光道和尚により創建されたが、大坂の陣で焼滅してしまう。その後元禄時代に、義道和尚がこの地に寺院を再建し、寺名を海照山正圓寺と改めた。 本尊は木彫の大聖歓喜双身天王で、日本最大だと言われている。この仏様は、象の頭身を持つ「大自在天」と、女天である「十一面観世音」が抱擁された双身の姿で、秘仏になっている。
境内には鎮守の神を祭る「奥の院」と呼ばれる場所があり、鎮守堂(荼枳尼天)、寄松塚(八本松竜王)、石切社分祠、浪切不動明王、弁財天祠などが祀られている。また、「兼好法師の藁打石」と「兼好法師隠棲庵跡」の碑がある。

正圓寺山門


狛犬1

■奉献年 大正三年九月建之(1914)
■作者  今宮村 石工 髙垣佐次郎?
■材質  花崗岩
■設置  境内中央鳥居前

海照山正圓寺山門
境内中央の鳥居前の狛犬

左右に石仏が並ぶ階段をのぼり、「海照山」の扁額がかかる山門を潜ると、すぐ目の前に鳥居が見える。その手前に、大阪では珍しい構え型の狛犬が置かれている。鳥居には「歓喜天」と書かれた神額が架かっている。狛犬は基壇の上に置かれた猫足台座の上に立っている。

境内中央鳥居前の構え型狛犬(吽・阿)
構え型狛犬(阿形)
構え型狛犬(吽形)
境内中央鳥居前の構え型狛犬(吽・阿)
境内中央鳥居前の構え型狛犬

阿形は左前肢で玉(鞠)を押さえ、吽形は少しあげた右前肢に子狛がまとわりついている。
構え型の狛犬は、江戸時代の浪速狛犬の伝統にはなく、比較的新しいものである。この狛犬は基壇に「大正三年九月建之」という紀年銘がある。大正3年は西暦1914年で、この年の8月に日本は第二次世界大戦に参戦している。
狛犬の作者は「今宮村 石工 髙垣佐次郎」と読めるが、「佐次郎」の部分は不鮮明で、違うかもしれない。

狛犬基壇の銘文

なお、この狛犬には、雌雄を示す印はなかった。

境内中央鳥居前の構え型狛犬(吽・阿)


狛犬2

■奉献年 不明
■作者  不明
■材質  花崗岩
■設置  奥の院  石切社分祠前

奥の院の由来説明板
奥の院  石切社分祠
奥の院  石切社分祠前狛犬
奥の院  石切社分祠前狛犬(阿形)
奥の院  石切社分祠前狛犬(吽形)

寺院の東側に「奥の院」と呼ばれる場所があり、正圓寺の鎮守の神をお祀りしている。その中の一社が石切劔箭神社の分祀である。
社前に小型の花崗岩製の狛犬が安置されている。奉献年などは一切わからないが、明治以降の作であろう。簡略ながら江戸時代の浪速狛犬の面影を残している。
この狛犬とよく似た狛犬が、すぐ近くにもあった。


狛犬3

■奉献年 不明
■作者  不明
■材質  花崗岩
■設置  奥の院

奥の院  もう一組の狛犬
奥の院  もう一組の狛犬(阿形)
奥の院  もう一組の狛犬(吽形)


奥の院に、浪切不動明王と童子像が安置されている場所がある。その背後の柵の裏側に、一組の石造狛犬が置かれている。もとはどこかの社殿前にあったと思われるが、わからない。石切社分祠前の「狛犬2」とよく似ているので、同時期に同じ石工が造ったものではないだろうか。



正圓寺境内

聖天山正圓寺は興味深い寺院である。境内にはいろんなものが祀られている。立地の聖天山は標高14mの小山で、先に述べたように「大阪五低山」の一つである。
本堂に向かって左側に釈迦堂がある。ここから大阪の町が見下ろせる。


〈釈迦堂前のマニ車、仏足石 稲荷社の狐像〉

釈迦堂前
マニ車
仏足石

〈宝篋印塔〉

宝篋印塔


〈井戸端に蹲る霊獣〉

謎の霊獣


〈賓頭盧尊者坐像〉

大師堂前に安置されている賓頭盧尊者坐像


〈ぼけ封じ地蔵尊〉

ぼけ封じ地蔵尊


〈地蔵坐像〉

錫杖を持つ地蔵坐像


〈奥の院の石造物〉



〈兼好法師藁打石の碑〉

正圓寺公式サイトより

「大聖歓喜天」と彫られた石標の礎石が、兼好法師の「藁打ち石」と伝えられている。
兼好は、南北朝の戦乱を避けて京都の吉田山に隠棲し、その後、家僕の命婦丸の郷里である阿倍野の丸山に移り、藁を繩につくろい、筵を織って糧にするという清貧の生活を送ったという。

「摂津名所図会」に描かれた兼好法師


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