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過保護と過干渉の違い

子どもがのぞむことをみな与えるのが過保護
親がのぞむものだけを与えるのが過干渉
     
子どもの心の育てかた
  佐々木正美 (河出書房新社)

児童精神科医、佐々木正美先生の言葉です。
佐々木正美先生の言葉は、私は共感することが多くTwitterでもbotアカウントをフォローさせてもらっています。

例えば子どもがもう一人で服を着替えられるようになっている時期に

子どもが「お母さん一緒に着替えさせて」と言って着替えさせるのは「過保護」。これは子どもはすでにできることだけれど「お母さんに自分の方を向いてもらいたい」欲求なんだと思います。「愛の確認」ではないかと。

では過干渉はどんな場合か。

すでに着替えられるようになっているけれど、時間がなくて急がなければいけない時に子どものペースを待てずに親が着替えさせること。
これが「過干渉」だそうです。

私はどちらもあったなぁと思いました。
着替えさせてと甘えられて余裕なかった時もあるし、遅刻すると親が着替えさせたことも…

佐々木先生はこう書いてました

子どもののぞみ通りにしてあげること、してあげすぎること、というのは「悪い」とされることがあります。なんでも子どものいうことをきいてやったら、子どもは依頼心ばかりが強くなり、自立できなくなる、という意見です。
けれど、私はそんな事例を、本当に見たことがないのです。一見、そういうふうに見えるケースというのは、過保護の結果ではなくて、過干渉です。子どもに対して過剰に干渉し、そのあとから過保護的な態度をとる、というケースがほとんどなのです。

過干渉は、子どもがのぞんでいないけれど、親が一方的に「こうしたほうがいい」と思うことをいったりしたりすることで、「過保護」「過干渉」も同じ甘やかしとして悪いことのように捉えられがちですが、大きく違うことなのです。

私は娘コマコが保育園のころ自分で髪の毛を結いたがってた時期がありました。年中くらいだったか…小さい子のすることなので「ぼさぼさ」なんです。でも「自分でやりたい欲求」を止めたくなくてぼさぼさの髪で登園していたことがあります。保育園行事の日も。

正直私にはとても勇気がいりました。他のお母さんに娘の髪の毛のことを陰口言われ、あてつけ(だったと感じました…)に隣で自分の子どもの髪を結び始められたことがあります。

私も繊細な性格なので傷つきました。

子育てってみんなやり方が違うし、その分お母さん同士の不協和音にもなりやすいことです。

私も失敗と反省はたくさんあります。
コマコの「愛の確認」を満たしてあげられなかったこともたくさんあったなぁとこの佐々木正美先生の言葉を読んで思いました。

今私と娘はその埋められなかったものを埋めるための時間を持てている。もちろん完璧にはできないけれど、あの頃よりはマシになれてきているのではないかと娘の元気な姿を見ながら感じています。

今の子どもたちは昔に比べて「甘やかされている」と感じる面があるのなら、気をつけなければいけないのは「過干渉」の方ではないかと思うのです。

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