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人は身近な他者という存在なしに生きている意味を見出すことはできない。家族をデザインすることはできるのだろうか?

『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』を読んだ。

最近は読み切る集中力が落ちたせいか。読むのに時間がかかるが、これは一気読みだった。ただ、感動したとか、考えさせられたとかという類の感想は持ち合わせることはなかった。わかっていたことだが、自分もかなりドライなのだ。

家族のあり方について幡野さんなりの考え方が提示されている。参考になった。人は自分の命の処し方に対して自律できない社会に生きている。そしてその生の証を理解し大切に扱ってもらうためには自分以外の身近な他者が必要になるということ。

人は孤独に産まれて孤独に死んでいくのならば、その間もずっと孤独でいればいいのだが、そうはいかない。自分以外の誰かが居て、初めて自分が自分であることも、生きていることも実感できる。

かと言って、身近にいる誰かは誰でもいいというわけにはいかない。場合によっては非常に厄介な人が身近な人であるために、自分の人生が台無しになることもあるのだ。

自分にとって、最も適切で身近な人は、パートナーであり、子供である。それ以外は不要だという。そうかもしれない。

いずれにしろ、僕の同僚が三十代で徐々に肉体が崩壊し緩慢なる死を迎えることを避けることが出来ないとわかったとして、彼にかける言葉を見つけることは容易ではない。

そんな事を思った次第だ。

#ぼくたちが選べなかったことを選びなおすために

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