想像は創造を超えるか?アウトロジックな日本が未来をクラフトする。

もうだいぶ前になるが、ビジネス創造のトレーニングを受けたことがある。講師は日系米国人。彼はシアトルの美しい湖にある高級住宅に住んでいた。僕たちは、彼の住まいの近くにある元モトローラのオフィスだった場所で缶詰になって24時間ぶっ通しで新規サービス創造演習に取り組んでいた。

僕はシアトルへ行く前、いつもの癖でグーグルを使って彼の名前や事務所を検索してみたが一切ヒットしなかった。彼はその筋では名の通ったフューチャリストだと聞いていたので、なんかちょっと変だなと思った。

だから、シアトルで彼に会う早々、質問形式でその話をぶつけてみた。彼の答えはとてもシンプルで、「そりゃそうですよ。私の名前をネットで調べても出てきません。自分に関する情報はネットに出さないように常に注意を払っていますから」ということだった。

「ネットに載っている情報は、情報世界全体のごく一部でしかありません。ネットには出てこない情報にこそ価値があるとは思いませんか」というパンチラインをもろに食らって僕は撃沈した。

自分の情報の秘匿と管理の重要性については、『マイノリティー・リポート』を観て、利用可能なテクノロジーとサービスをピックアップせよという事前課題を出されていたのと併せて小説『虐殺器官』を読んでいたこともあって僕の脳の髄まで染みていたのに、検索サービスに依存した怠惰な僕は、本当の意味での情報の価値とは何かということが全く理解できていなかった。

続けます

#CNET

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