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私が温泉旅館を愛する理由。(広島県 宮島編)

3月下旬、かれこれ10年以上振りに広島宮島を訪れた。当時は「ザ・観光地」と行った風情で、団体のツアー客と鹿の群れというイメージしかなかったのだけれど、今やおしゃれなカフェや飲食店、雑貨屋、ゲストハウスも増えて人の流れが宮島を変えたのか、宮島が変わったのか…、老若男女、家族連れ、女子旅、そしてインバウンドの波、すっかり様変わりしていた。今回、宮島では宮島桟橋からすぐ近くにある宮島別荘に宿泊。地元の食材や文化を大切にしている旅館で、若いスタッフの爽やかで温かなサービスも印象的。次は家族との再訪を心に誓った。

宮島別荘
https://miyajima-villa.jp/

▲宮島別荘の外観。桟橋から歩いてすぐ。

▲食事は朝夕ともにブッフェスタイル。お野菜、お魚など地産地消にこだわったメニューが並ぶ。これでもか!というくらい牡蠣づくし。

▲ お部屋の鍵。宮島名物のしゃもじ型。地元の文化をさりげなく取り入れている。

▲夜の散歩。宿のスタッフが「寒いから」と出がけに手渡ししてくださったホッカイロを握りしめて。気持ちもあったまる。

▲宮島別荘の若旦那と。最近の旅館業界の動きや宮島の今を教えて貰いました。

▲厳島神社の開門は午前6時30分から。断然、早朝参拝をお勧めします。

私は温泉旅館を愛していることを公言して止まない。それは宿の人との何気ない会話・やり取り、食事、空間…、宿泊を通じた様々なシーンで五感を使って地域の魅力を感じることができるからだ。勿論、土地毎に特色ある温泉もその魅力のひとつ。私はいつも旅先を決める時、ディスティネーションよりも宿を中心に組み立てる。そのくらい旅の中で宿は重要視している。宿は旅の中で最も過ごす時間(睡眠時間を含む)が長いから妥協したくないのだ。旅の良し悪しの7割くらいは宿の印象で決まると思っている。道中で食べた蕎麦屋がイマイチでも、渋滞に巻き込まれてイライラしても、宿での過ごし方に満足できれば、それまでの些細な出来事はそれとしてある意味楽しい旅の思い出に変換出来る。逆に宿の過ごし方で消化不良感が残ると旅自体の印象もイマイチになる。あくまで私の捉え方だけれど。

先日もまた家族で温泉旅館に行った。行き先はホテルプロデューサー兼 現役東大生である 龍崎 翔子さんが手がける湯河原の温泉旅館。そのご縁だろうか、彼女の素敵なエッセイを見つけた。

彼女がプロデュースする湯河原の宿はこちら。

THE RYOKAN TOKYO YUGAWARA
https://www.theryokantokyo.com/

コンセプトは「湯河原チルアウト」。このキャッチコピーが踊るホームページを見ただけで「行ってみたい」と直感的に思った。こんな風に「行ってみたい」と瞬間的に思わせてくれるおもしろい旅館が増えると地域も業界も、そして旅自体がおもしろくなると思う。
ちなみにこちらの宿は、旅館慣れ、旅慣れしている方には少し物足りないかも知れない。
でも、確実にニーズが合致する層がいる。それは旅館に泊まったことがない20代の若者、そして近年急激に増加する訪日外国人、いわゆるインバウンドだ。

さて、旅館・ホテルのホームページをひとつ見ても、どれも同じに見えて、旅ゴコロをくすぐられる宿は本当に少ない。どれも型にはまっている感じ。
例えば、写真の構図はどれも同じ(料理、部屋、温泉)、アップデートされない情報。その土地の魅力も伝わってこない。どこを切っても同じ金太郎飴のように見えてしまう。湯上りの微睡み、薄暮の物哀しさ、薄墨の闇と灯り、朝靄と柔らかな湯気、その時々の匂い、質感、空気、…、自分がこの宿でどんなふうに過ごすのか想像できないからワクワクしないのと、逆に「ここではこうお過ごしください」と型にはめられているような窮屈さもあって、自分で思い思いに過ごす余白が許されない感覚を持つのだ。

正直、旅館の現状は厳しい。未だバブル期の華やかな団体旅行ブームを待ち望み旧態依然とした経営を続ける旅館(多分、今後も旅行客の形態は小ロット化していくでしょう)、旅行客の多様化(団体から個人FITへ、インバウンドの急増)やニーズや形態の多様化(ひとり旅、家族旅行など)に施設自体もサービスも世の中のニーズに対応出来ていない旅館がとても多い。

私には愛すべき旅館が、自ら掲げる「旅館のあるべき姿」に縛られ囚われそして自ら呪いをかけて苦しんでいるようにも見える。
結果サービスもコモディティ化し、かつ不毛な価格競争に自らを追いやっている。
また、様々な規制や制約、環境の変化を自らの経営がうまくいかないことの理由にする人もいるけれど本当にそうだろうか。法律や時代の流れ、同じ条件の中でもお客様に支持されしっかりと利益を出し、働く場としても魅力的な旅館は規模を問わず全国にたくさんある。それはなぜなのか、どこに違いがあるのか、もっと真剣に向き合うべきだ。「あの人は特別だから」、「あの人だから」と片付けて仕舞えば楽だけれど、そういわれる有名な旅館経営者ほど、実は並々ならぬ努力と革新に向けた取り組みを人知れず続けられている。日々、もうただただ愚直に課題と向き合っている。華やかな部分だけがいつもクローズアップされるけれど、彼等も最初からそうだった訳ではないし、一歩一歩を確実に進んできたから今があるのだと思う。これは旅館のことに限らず、どんなシーンでも思うのだけれど、できない、やれない理由や言い訳を考える力と時間は不毛だ。むしろ「どうやったらできるのか」に、その時間と思考を使うべきだ。

「MUJIホテル」を始め、最近は特に異業種の宿泊業参入が活発だ。ついにはアパレル業界やあのワコールも。それこそが宿泊業が魅力的でかつ可能性を秘めた産業であることを証明していることに他ならない。ならば、本丸の宿泊産業はそんな異業種の動きをどう感じるのか。
https://www.wwdjapan.com/491977?utm_content=buffer60584&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer

http://crea.bunshun.jp/articles/-/15335

私は側でずっと関わってきてそれを実感しているし、やっぱりそうなんだろうなとあらためて思う。それは単に2020年のオリンピック・パラリンピックを控えて訪日外国人旅行者が今後も増え、需要増が見込まれる業態という単純な意味合いではなくて、そもそも宿泊業は可能性を秘めた産業なのだ。残念ながら当の本人である宿泊業とくに旅館の方々がまだまだその可能性に気づいていないけれど。
私が考える宿泊業の魅力と可能性は大きく2つ。

1つ目は、宿泊という行為は「衣食住」いわゆるライフスタイルと密接に関わっているということ。どのような空間で、どんなふうに過ごし、何を、どんなふうに食べて、寛いで、寝床につくのか。そのシーンごとに体感できる仕掛けがある。家具、食器、衣類、寝具、空間(音、香り、空気感)…、宿泊を通じてモノコトの良さを伝えられる。宿泊という行為を通じてその人の可処分時間を強制的に、しかもまとまった形で使って貰える。

2つ目は、ハードを持っているということ。泊まるだけでは勿体無い。例えばラウンジは、宿泊客、地域の住民、近隣で働く人たちのコミュニケーションの場にもなるし、ロビーは作品を展示すれば小さな美術館に、地域に根差している旅館ならば料理教室(郷土料理や味噌などの伝統食)や着付け教室、文化体験など地域のショウルームのような役割があると思う(食材や伝統工芸を宿の食事や家具で知ってもらうなど)。これら宿泊業が持つ力や強みに地域の魅力や強みが掛け算されると可能性はもっと拡がると思うし、独自性も生まれる。施設の大小はあまり関係が無い。それぞれに出来ることがある。

個人的には、アンテルーム京都や東京のTRUNK(HOTEL)、hanareは「宿」のそういった強みを知ってビジネスをしているように感じる。

アンテルーム京都
https://hotel-anteroom.com/

TRUNK(HOTEL)
https://trunk-hotel.com/

hanare
http://hanare.hagiso.jp/

旅の中で旅行者がいちばん長く時間を過ごすのは宿だ。そこで感じたことは、宿自体の印象は勿論、その旅自体、そしてその地域自体の印象までも左右する。もし、誰かがあなたの宿に満足せず、次の旅で隣の宿に泊まったのならまだいい。もしかしたら、あなたの宿はおろか隣の宿にもその人が泊まらなかったら、その地域には誰も訪れないことになる。そのくらい宿での過ごし方は旅自体の印象、次の行動に影響を及ぼす。気に入ってもらえれば、あなたの宿にも、そしてその地域にも恩恵をもたらす。

旅館を始めとする宿泊業はまだまだおもしろくなれると思う。それが業界、地域ひいては日本の観光をさらに魅力的なものにしていく大きな原動力になると私は信じている。