GReeeeN 5度目の全国ツアー・ファイナル前日に込み上げた想い。
2017年の夏が終わる。
カレンダーが9月に変わるその前日、GReeeeNの5度目の全国ツアー「GReeeeNと不思議のダンジョン〜失われた古代魔法を求めて〜」がファイナルを迎える。
合い言葉は“Zepp Tokyoでも「笑顔」でダンサブル!!”
GReeeeN本人の姿がなくても、歌声とシルエットに魂を感じるライブの楽しさは飛びきりだ。一度、映像で浮かび上がる彼らに出会ったら、あの伸びやかな声に合わせて一緒に歌ったら、それはもう性別年齢問わず、魔法にかかったように彼らを求め続けることになる。
今日はファイナルライブの前日。今私は、明日のステージを思い浮かべながら、7年前、彼らに出会った日のことを思い返している。
GReeeeNの4人、HIDE、 navi、 92、 SOHに初めて会った時、私は単なる彼らのファンだった。CDはすべて持っていたし、カラオケでもGReeeeNの曲の何曲かは私のテッパンだった。
東日本大震災から半年が過ぎた頃、まだ余震が残る郡山で私たちは会った。
東北新幹線の郡山駅からタクシーに乗って20分。住宅街の一角にある一軒家のカフェレストランの2階の個室。それぞれの車で別々にやってきたHIDEさん、 naviさん、 92さん、 SOHさんは、ノンフィクション作家と名乗る私を前に、緊張した面持ちで静かに座っていた。
顔と名前を伏せて音楽活動をするメンバーがGReeeeNとしてマスコミ人に会うことこれまでになかった。
特別な機会に私も緊張し、目の前の水をごくごくと飲んだ。
私たちを引き合わせた出版社の編集者とレコード会社のプロデューサーが私を紹介し終えると、テーブルの右端に座っていた瞳の大きな人の声が聞こえた。
「ども、GReeeeNです」
リーダーのHIDEさんだ。つづいてnaviです、 92です、 SOHですと名乗った彼らはずっとうつむき加減で、「もしかして不機嫌?」と思うほど浮かない表情を見せていた。
HIDEさんが少し早口で話し出す。
「あの僕ら、GReeeeNとして確かに音楽活動しているんですが、現在進行形で歯医者でもありまして、毎日毎日、治療と勉強の連続で。週末の休みに音楽活動して、時にはセミナーに出て研修もして、それ以外の日はたくさんの患者さんを診させてもらっています。芸能人じゃないですし、芸能の世界のこともまったく知らないですし、自分たちが有名で売れてるなんて考えたこともないですし・・・・・。つまり作家さんに何か書いていただくような者ではないと思っております」
HIDEさんの丁寧な拒絶に、私は隣に座っていた編集者の顔を見た。無言の編集者は、「すみません」と言うふうに黙って私の顔を見た。
この日の私は、GReeeeNが出版を計画している、という本についての打ち合わせと聞かされていた。
事前ミーティングでは「初めてのGReeeeNの本の筆者は小松成美しかいない」となどと持ち上げられたりもしていて、彼らの楽曲が大好きな私に、この企画を断る理由は何もなかった。
ところが、HIDEさんのコメントで一転、静かなカフェレストランの一室に満ちる空気は緊迫の度を増していく。
このミーティングが彼らにとって本意ではないことを悟った私は、“招かれざる客”である自分はこの先、どう振る舞えばいいのか、と考えていた。
本の出版に興味がなく、歯科診療と研修と音楽活動で息も付けないほど忙しく、プライバシーを細心で守っているのならば、私が本を書く話など成立するはずもない。
「お気持ち、よく分かりました!歯医者さんとして、GReeeeNとして、これからも頑張ってくださいね。今日はお騒がせしました」
そう話しを締めくくれば、それで終了。
のはずだったが、私の口を突いて出たのは、それとは正反対のことを提案だった。
「GReeeeNの皆さん」
それぞれの顔を見つめながら、私はゆっくりと話しかけた。
「皆さんが歯医者さんとしての仕事を持ちながらミリオンセラーのアーティストである現実は、それこそが奇跡ですね。そのためには完璧にプライバシーを守る必要がありますよね。それも理解しています。でも、もしも、心の何処かで、GReeeeNの歩んできた道程と曲の込めた熱い想いをファンの皆さんに伝えたいと思われるなら・・・・・・、私のインタビューをうけてくださいませんか」
みんなが黙って私の話を聞いている。
「ノンフィクションが駄目なら、皆さんの物語をフィクションである小説にして出版しちゃいましょう!」
そう言いながらも、自分で自分に猛烈なツッコミを入れることに。
「小説って、これまで書いたことないんだし、それに、GReeeeNさん大好きだって言っても、楽曲以外なにひとつ知らないでしょ!」
慌てる私にもう一人の私がこう言った。
「いやいや、この出会いが偶然であるはずがない。福島の地でGReeeeNに出会えたことは、必然に決まってる」
2011年3月11日。
あの日、彼らは勤めていた郡山で東日本大震災に遭って被災者となった。その後も福島に留まり、歯科医師として地域のために貢献するのである。
私の両親の出身地も福島県で、親族のほとんどが被災者となっていたので、私も震災直後から何度も福島へ入り、余震と福島第一原発の事故に向き合った。
つまりGReeeeNは、私にとって被災者という“家族”であり、医療人として福島の人々を助ける“恩人”だった。
「小説・・・・・・ですか?」
アイスコーヒーを飲み干したHIDEさんが顔を上げ、キラッと目を輝かせて反応する。
「僕らの真実をちゃんと聞いてくださり、それをフィクションにして読者に届けてくださるんですか?!」
HIDEさんの問い掛けに、私は力強く頷いた。
「ええ、インタビューを受けてくださるなら、そうしたいと思っています。GReeeeNをモデルにした小説を、一冊にします」
HIDEさんは「考える時間をもらっていいですか」と言って、私はそれを受け入れた。
その後、GReeeeNの4人は何時間も話し合い、ついに「小説」というプランを受け入れてくれたのだった。
2度目にあったHIDEさんは言った。
「小松さんを信じます。信じて僕たちの真実を話します」
鼻先がつんとして、涙が出そうになった。私は瞳をぎゅっと瞑って、涙を堪え、頭を下げた。
「これってキセキですよね?!」
そう言って顔を上げると、メンバー4人の笑顔があった。
以後、何度も郡山へ通い、4人のロングインタビューを繰り返し行った私は、彼らの出身地や故郷までも訪ね歩く。学生時代の友人やレコード会社の担当者、マネジメントススタッフの方々、HIDEさんのお兄さんで事務所の社長でプロデューサーであるJINさんにも長いインタビューに付き合っていただいた。
4人の青春の日々の真実を拾い集め、ノンフィクションではなく小説というエンターテイメントに書き上げる挑戦に、私は難儀し、けれどその楽しさに時間を忘れていた。
気が付くと4年という時間が過ぎていた。膨大な取材と執筆の先に、ようやく「GReeeeNの物語」は完成したのである。
完成した原稿を読んだHIDEさんからのLINEが届いた。
《小松さん。これが俺らの物語。そのまんまです。マジで泣けます...本当にありがとうございました(T_T)》
執筆の苦労が一瞬で報われた瞬間だった。
大ヒット曲「キセキ」の一節である“それってキセキ”をタイトルにと言ってくれたのも、実はHIDEさんだった。
7年を経過した今、私は彼らの青春を一冊の本に綴った作家として、音楽や音楽以外のことを語り合った仲間として、4人が楽曲に込めてファンの皆さんへ届ける気持ちを、どんな時にも大切にしたいと思っている。そして、GReeeeNの鼓動を文字にして時代に刻んでいくのだと、心に決めている。
何より「それってキセキ GReeeeNの物語」をGReeeeNの10周年に出版できた奇跡に、心から感謝。
明日の今頃は、Zepp Tokyoにいて彼らの歌とダンスに体を揺らしているはずだ。
皆さん、光りに包まれたステージを臨む客席でお目にかかりましょう。
小松成美のGReeeeN エッセイ。これからも「それってキセキ GReeeeNの物語」について、GReeeeNの楽曲についてなど、綴っていきたいと思います。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。これからもご声援、サポート、よろしくお願い致します。
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