死と善悪

子どもの頃

死について考えたことがあって、

例えば、父が死んだとする。

父はこの世からいなくなる。

でも、僕は父のことを知っていて、

僕の中で父は存在する。

だから大丈夫。

で、

僕に子供ができて、

その子供にその父のことを話すと、

僕が死んでも

僕の子供の中で父は存在する。

でも僕の子供がその子供に

僕の父のことを伝えなかったら、

僕の父のことを

誰一人として

知っている人がこの世から

いなくなったら・・・、

そう考えると

とても怖くなった。

そういえば

画家のマリーローランサンの詩で

「死んだ女より悲しいのは忘れられた女」

というのがあった。

あれはちょっと違うか。

子どもの頃は

死ぬということは、

かなり先のことで

あんまり関係なくて、

その分、考えることができて

いけないこと、悪いこと、とは

思っていなかったような気がする。

無謀にも正面から向き合っていた。

超高齢社会・・・

昔は命を落としてた病気で

死ぬことがなくなったり、

医学の進歩で寿命がどんどん延びている。

「寝たきりになって

訳が分からなくなるくらいなら

死んだほうがまし」

という人が多い。

正直な気持ちだと思う。

子どもや若い将来のある人が

死ぬのは良くない。

まだまだやりたいことがある人が

死ぬのは良くない。

十分に生きて老衰で

眠るように死んだら大往生ですね、

と感動すら覚える。

死は悪いこと、という概念は

医学の進歩と同時に

急激に発達したのではないか。

そもそも、なにをもって善悪とするのか。

死とはなにか、また考えないといけない。


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