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どれから読む?韓国文学~ブームに至るまでのふりかえりとお勧め本、そしてその魅力を語り尽くす①(対談:古川綾子(翻訳者)×伊藤明恵(クオン)

 明るいニュースが少ない出版界にあって、ここ数年確実にその存在感を高めているのが、韓国文学の翻訳本の数々です。多くの書店で「韓国文学」コーナーができ、フェアが行われるなど、活況を呈しています。ブームの象徴的となった2018年刊行の『82年生まれ、キム・ジヨン』は、折からのフェミニズムへの関心の高まりとともに話題となり、累計28万部(2022年5月現在)を記録し、現在もその後を追うようにさまざまな作品の刊行が続き、一過性ではない熱心な読者層を形成しているように思えます。
 そんな中、今回から3回に渡り、韓国語翻訳者の古川綾子さんとクオンの伊藤明恵さんによる、日本における韓国文学の来し方や現在についての対談(2022年3月25日に実施)を収録したものをお届けしようと思います。言語は違えど翻訳出版を手掛け、また、韓国の文化に傾倒する当ウェブの編集者が、この対談から多くの学びと刺激を得たためです。社会性の高さや力強さなど韓国文学そのものがもつ魅力を確認し、次の一冊へのガイドとなることはもちろん、版元や翻訳者の方々が連携して行ってきた浸透のための施策や工夫の巧妙さ、そして似ているようで日本とは異なる韓国の事情を踏まえ、作者の意図を的確に伝えようとする翻訳者の苦労など、興味深い舞台裏の話が満載です。どうぞじっくりお楽しみください。

“ブーム”以前の取り組みや出来事


伊藤
 ここ数年、韓国文学ブームと言われるようになって、「いつからそんなに人気が出たんですか?」ということも聞かれるようになったのですが、そう言われるようになる前からいろんなことがありましたというお話を、古川さんとさせていただけたらと思います。急に韓国文学がたくさん翻訳されるようになったわけではないんですよね。
古川 そうですね、ブームと言われるようになったのは、ここ5、6年だと思うのですが、私たちの中では、10年くらい前からいろんなことを試みてきて、今やっとその花が咲き、実がなったのかなと思います。

伊藤 そのあたりのことを一つずつ具体的に話していこうと思います。一つめが、『日本語で読みたい韓国の本─おすすめ50選』(K-BOOK振興会刊行)です。
古川 これは2012年、ちょうど10年くらい前から年に1冊作ってきた冊子です。「日本語で読みたい」ですので、まだ日本語版の版権が売れていない本の中で、こういうものを日本で出したらいいんじゃないかとか、日本の読者が読んだら面白いのでは、というものを毎年50冊集めてそのレジュメを作って掲載しています。また、ただ冊子を作るだけでは意味がないので、出版に携わる皆さんをお招きしてお披露目会・説明会を開催し、興味を持っていただいた本があれば、さらに詳しいレジュメを書いたり、版権のエージェントなどもお手伝いするという形をとってきました。現在は冊子ではなくweb上で同じようにレジュメを紹介し、依頼があればお手伝いをして出版する、というかたちに変わりました。
伊藤 これをご覧になった出版社の方が面白そうだと判断されて翻訳出版に結び付いたものもありますよね。
古川 そうですね。この第6号に載っている50冊の中で、日本語訳が出版された本が、数えてみたら8冊ほどあります。
伊藤 次のトピックは、日本翻訳大賞に『カステラ』が選ばれたことです。
古川 クレインという出版社から刊行され、ヒョン・ジェフンさんと斎藤真理子さんが翻訳をされたパク・ミンギュさんの『カステラ』が、第一回翻訳大賞を受賞されたんです。これは私たちにとってはお祭りのような出来事で、うれしかったです。地道にやってきて、韓国文学の面白さが広まり始めたのがちょうどこの時期だった気がします。
伊藤 エポックメイキングな出来事だったと思います。そして、同年に韓国の本を専門に扱うブックカフェ・CHEKCCORIが神保町にできました。
古川 これも2015年、早いですね。韓国の書籍を専門的に集めて、皆さんをお招きしてイベントなどもたくさんやる書店で、現在では書籍という枠をこえて韓国文化の集合基地のような場、皆さんが集う場として定着した感がありますね。 
伊藤 それ以前にも皆さんがそれぞれ読書会を開いたり、SNSで発信したりといったことはありましたが、場ができたことで輪が一段と広がっていった感があると思います。
古川 集う場所ができたのは大きかったと思います。
伊藤 ここまでが日本での取り組みでしたが、韓国発信での取り組みもあるんですよね。
古川 そうですね、同じ時期に、韓国側も積極的にいろんな取り組みをしてくださっていました。韓国は国を挙げてK-POPや映画などを輸出するということが知られていますが、文学もということで、韓国文学翻訳院という政府の傘下組織があります。ここは日本だけではなくて世界中の国への輸出を促進しているのですが、2017年に組まれた交流プログラムでは日本の8社の出版社の方々が、ちょうどソウルの国際ブックフェアの時期に合わせて皆さんで韓国に行き、ブックフェアを見学したり、韓国で出版に携わっている作家さんや編集者の方々と交流会をもちました。とても充実したプログラムでした。 
伊藤 これ以前の重要な出来事に、2013年の東京国際ブックフェアがあります。
古川 懐かしいですね!
伊藤 この時は韓国の文壇の錚々たるメンバーが東京にいらっしゃいました。
古川 はい、このブックフェアはもうなくなってしまったのですが、毎年テーマ国というものを決めていて、ちょうど2013年が韓国でした。ちょうどその前年から『日本語で読みたい韓国の本─おすすめ50選』を作り始めていたので、自分が一生懸命読んでレジュメを書いた本の作家たちが目の前にいる、という貴重な体験でした。ハン・ガンさん、オ・ジョンヒさん、キム・ヨンスさん、イ・スンウさん、キム・エランさんという錚々たるメンバーの方々が来て、連日日本の作家の方たちとの対談や鼎談をしてくださいました。
伊藤 私はこの時に、展示の方には行っていたんですけど、作家さんたちのイベントの方には行けなくてすごく残念でした。またこういうイベントができたらいいですね。

シリーズ化による刊行点数の増加と書店での認知度アップ


 伊藤 こうしたさまざまな取り組みもあって、近年韓国文学が広がってきているのですが、その要因を具体的に考えていこうと思います。
古川 要因の一つとしてはまず、シリーズで韓国文学を出してくださる出版社さんが増えた、ということがあると思います。伊藤さんが在籍されているクオンさんが先駆け的存在で、2011年の『菜食主義者』から始まったのが「新しい韓国の文学」シリーズです。それに続く動きはこうして見ると、2016年、2017年、2018年、2020年というように、この5,6年のことです。複数の版元でシリーズとして出して下さると、書店でも目につきやすく、棚も作っていただきやすいということもあり、ありがたいことだと思っています。

伊藤 シリーズと謳っていなくても何冊も出してくださっている版元さんもあります。
古川 はい、白水社さんとか筑摩書房さん、河出書房新社さんと、定期的に出してくださっている版元さんがあります。やはりこれは訳す側としてもありがたいな、と思います。
伊藤 版元さんによって、作品のテイストが違いますよね。
古川 はい。シリーズごとのテーマやカラーの違いがわかってくると、より面白くなってくると思います。
伊藤 刊行数が増えた結果、販促イベントも行われるようになりました。
古川 出版社合同韓国文学フェアですね。最初は2018年です。版元さんの垣根を超えて、みんなで一緒につくっていくフェアでした。

伊藤 書肆侃侃房さんが最初に幹事をやってくださって、各社の編集者さんなどがお互いに本を推薦し合うという企画もありました。
古川 POPを書いていただくという企画もあり、6社の参加で始まった最初の時は、自社以外のものの推薦を書くという感じで始まったかと思います。2021年になると約3倍の19社が参加して開催するようになりました。こういったフェアの開催も書店での認知度アップにつながったと思います。さらに広がっていくといいなと思います。
 

「恨」と「晴・爽」+テーマ性で見るお勧め本チャート


 伊藤 逆に、韓国文学の本が増えたがゆえの悩みが聞かれるようになったのが今日のテーマでもある、「何から読めばいいの?」です。
古川 増えすぎて追えなくなってしまったとか、どういうものがいいのかとか、質問いただくことは多いですよね。これはすごく難しい問題です。

古川 そこで、大きく分けるとこういう感じなのかなということでチャートを作ってみました。下が「恨(ハン)」、上が「晴れる」の「晴」と「爽快」の「爽」を入れています。
伊藤 縦軸と横軸に何を取るかがすごく難しくって、悩みましたよね。明るい・暗いなのか、ヘヴィー・ライトなのか……でも、韓国文学語るときのキーワードとして、「恨(ハン)」は外せないのかな、と思いました。ですが、「恨」って、“恨み”ではないんですよね。
古川 そうなんです。字で連想して、恨みつらみだと思ってしまう方が多いと思うのですが、どちらかというと、叶わなかった思い、心残り、成就しなかった思い、のような感情だと思っています。そして、「恨」の反対を何にしようかとずいぶん悩みました。
伊藤 なぜ言葉が二つ並んでいるかというと……「恨」の対義語は公式見解では何もまだないと思うのですが、どんなイメージだろうといくつか考えた時に出てきたものです。
古川 「心残り」の対局、と考えた時に、私たちの判断でこの漢字を当てはめました。それに合わせて一緒に選んだ本を並べています。
伊藤 横軸は右にいくほど、何か特定の歴史的な史実とか事件とかが見えてくる作品となっています。軸を決めてからも、何を載せようかということにひどく悩みました。今回は初めて読む方にお勧めしたい本、というテーマがあったのですが、必ずしもそうでもないものも載っているかもしれません。また、アンソロジーも入っています。
古川 初めて韓国文学を読む方やこれからもっと読んでいこう、という方には、私はアンソロジーをお勧めしたいなと思い、いくつか入れさせていただきました。アンソロジーは1つのテーマに基づいて複数の作家が作品を寄せているものなので、いきなり300ページなどの大作などを読むよりは手が出しやすく、自分の好みに合う、推しの作家さんが見つかるのではないかと思います。では、いくつか紹介していきましょう。
 

韓国文学ビギナーにお勧めしたいアンソロジー


 古川 『私のおばあちゃんへ』は、橋本智保さんが翻訳されました。老いをテーマにしたもの、年老いた女性を主人公にした作品は、そう多くはないかと思います。読む前は悲しい物語が多いのかと思っていたのですがそうでもなくて、ミステリアスなまま終る話や攻撃的な方が出てきたりとか、多様です。暗く沈んでいくだけの老いではなく、それぞれのかたちがある、というふうに感じられて、最近読んだ中では一番楽しかった本です。著者の中でも単著が出ている方もいます。
伊藤 ユン・ソンヒさん、ペク・スリンさん、カン・ファギルさん、ソン・ウォンピョンさん、チェ・ウンミさんの5人ですが、それぞれの作家さんのカラーがよく出ているな、と思いました。
古川 皆さんすごく自由に書かれたのだろうなと思い、私もお勧めです。次も同じくアンソロジーで、『ヒョンナムオッパへ』。これは白水社から出ていて、斎藤真理子さんの翻訳です。「フェミニズム小説集」とあり、そのテーマに関することが書かれているのですが、身につまされる話からSFというか、宇宙に至る話まであり、さまざまです。こちらに参加している著者たちも『82年生まれ、キム・ジヨン』のチョ・ナムジュさんからチェ・ウニョンさんなど、単著が出ている方もいますので、単著も楽しんでいただけます。
伊藤 フェミニズム小説と聞いて思い浮かぶイメージをより広げてくれるような感じがあると思います。
古川 そうですね、とても面白く読めた作品集です。最後が、『最後のライオニ 韓国パンデミックSF小説集』。ピカピカした本で、河出書房新社から出ています。斎藤真理子さん、清水博之さん、そして私の3人でそれぞれ2つずつ、共訳というかたちで訳させていただきました。文字通りパンデミックがテーマでSFなのですが、昨今のコロナ禍を彷彿とさせるものだけでなく、その先の未来を予見するような話もあります。キム・チョヨプさん、チョン・ソヨンさんなど、やはり単著の作品もある作家さんが参加しています。

日時:2022年3月25日@文喫(六本木)
※「お客様感謝祭-旅スル書店祭-」の一環として実施 
 
 
登壇者プロフィール
 古川綾子(ふるかわ・あやこ)
神田外語大学韓国語学科卒業。延世大学教育大学院韓国語教育科修了。第10回韓国文学翻訳新人賞受賞。神田外語大学講師。訳書に『走れ、オヤジ殿』(キム・エラン、晶文社)、『そっと 静かに』(ハン・ガン、クオン)、『未生、ミセン』(ユン・テホ、講談社)、『外は夏』(キム・エラン)、『わたしに無害なひと』(チェ・ウニョン、以上、亜紀書房)など。近刊は『君という生活』(キム・ヘジン、筑摩書房)、『ひこうき雲』(キム・エラン、亜紀書房)。
 
伊藤明恵(いとう・あきえ)
翻訳・通訳エージェント勤務を経て、2016年よりクオンにて書籍制作の進行管理、版権仲介業務等を担当。


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