哀しむ資格
筆者、アラサー。
この齢になると、「知っている人」が次々と旅立ってしまう。
そりゃあドラゴンボールなんて、連載時の世代でこそないけれど男の子としてガッツリ通ってきた道だ。その作者はきっと著者近影のようにロボットか何かで、ずっと存在していると心のどこかで思っている節があったのだから。
人間、というか私の命に対する心構えが未だにこの程度である事に辟易する。
確実に悲しい。そういえば2020年の志村けんさんの時もそうだった。
それでも、SNSの訃報やニュース速報に対して
「ご冥福をお祈りいたします。」
と返信を送る神経が理解できない。思っていても、文字を打てない。
ドラゴンボールは大好きだけど超をちゃんと追ってない。
志村さんの速報で本当に動悸がしたけれど、舞台「志村魂」は結局見に行けなかった。
私なんかよりも、もっと好きでずっと悲しい人がいる中で、哀しむ理由と資格が私にはあるだろうか。
簡単にご冥福をお祈りできてしまう人に対して「本当に思ってんのか」「その文字を打つ指は震えなかったのか」とか考えてしまう自分と、その気持ちを胸にしまっておくこともできずに、こうして文章で発散しようとする自分を嫌悪する。
ありがとうございました。
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