主人公

例えば、このような状況を考えて見ましょう。

「はいどうぞ」と言われ案内された4つ目の部屋は、先ほど体験した1つ目の部屋とほとんど同じ構造をしています。しかも、2つ目の部屋のモニターで見た映像をちょうど撮れそうなカメラが、4つ目の部屋の目立つところに置いてあるんです。
案内された4つ目の部屋で、あなたはどう振舞いますか?

さて、僕には日頃から「羨ましいなぁ」と思う人がいます。主人公になれる人です。とはいってもこれは有名人になったとか、なにかの映画で大役を任されたとかそういうことではなく、例えばある物語を体験するイベントがあった時にその物語の世界に入りきって、はたまた物語の主人公として体験する人のことを指します。僕はこれができないんです。

僕が物語を体験するイベントに参加した場合、僕はその物語の登場人物を演じてしまいます。もしもなりきるような、演じるべきキャラクターがいるならそのキャラクターを演じるとは思うのですが、それだけではありません。もし登場人物がいないような体験イベントの場合、僕は「その世界で生活している自分」を演じ始めます。

村の危機を救う勇者として選ばれたとするイベントがあると、僕は勇者らしく酒場で情報を集め、武器屋に入ってその世界の通貨でやりくりして武器を揃え、魔王とされるモンスターを倒す魔法を唱えることができます。でも間違いなくこれは僕ではない人物を演じています。「酒場に行って情報を集めてと言われたし勇者らしく酒場に行こうか」と考えている僕は間違いなくその世界から離れた人物で、たとえこの村の平和が守られたとしても「君の村は救われたよ、良かったね」と「自分」に声をかける僕がいるのです。僕はたとえその世界の主人公が自分だったとしても、その自分を演じてしまってどうしても主人公になることができないんです。

そんな僕でも主人公になれる場合があります。僕そのものが主人公だった場合です。この行動展示であれば、もちろん1つ目の部屋と2つ目の部屋は僕の前に訪れた参加に対する行動展示の登場人物となっているわけですが、3つ目以降、もしかすると1つめ2つめの部屋であっても、この物語の体験者は僕そのものになっているわけです。「2つめの部屋でも撮られていたのか!ひょっとしたらこの部屋もどこかにカメラがあって次の部屋で映像を見せられるかもしれない」と考える自分は紛れもなく僕なわけですからね。

他にもいくつか僕が主人公になれるイベントはあります。例えば、謎だけを提示されるタイプの謎解きイベントweb謎一枚謎などはおそらく、それを解いている僕が主人公で制作者が考えたギミックなどを僕自身が解き明かすというストーリーが展開されています。2017年に僕が体験したイベントでいえば、SCRAPさんの1万人リアル脱出ゲームでしょうか。スタジアム中央には制作者、スタジアムの至る所で展開される謎、そしてなにより周りを見渡すと無数に目に入る対戦相手。あそこまでワクワクするイベントは今年一番だったと思います。脱出はもちろんできなかったんですけど、あの大きな会場で僕は主人公になれたわけです。

僕には日頃から「羨ましいなぁ」と思う人がいます。主人公になれる人です。なにかの物語の世界に入りきって、はたまた物語の主人公として物語を体験できる人に、僕みたいに、イベントへ入り込むような出来事に対して「これどういう仕組みでできているんだろう」とか「主人公ならこうするだろうから僕もこうしなきゃ」と一歩引いてしまわないような人に憧れています。

最後に、一番最初の質問を振り返りましょう。もしこの行動展示に4つ目の部屋が存在し、案内された先がまるで「1つ目の部屋で行ったことをあなたは再現しますか?」と問われているような部屋だった時、あなたはどう振舞いますか?

おそらく僕は1つ目の部屋での行動をややオーバーに振舞ってしまうのだと思います。5つ目の部屋で、2つ目の部屋の映像と比較しながら見ているであろう参加者へ向けて、この行動展示の4つ目の部屋に訪れたという設定の「僕」を、制作者に、または僕に期待されるような振舞いをする「僕」を、「僕」を、僕は演じてしまうのでしょう。僕は、主人公にはなれない。

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